「今回の旅で誰が一番最初に迷子になるか」に賭けた。結果、全員が正解だった。集合場所に着く前に誰かが道を間違え、誰かが忘れ物をし、最後には車が遅れてやってくる。3月の宜蘭の空気はしっとりと肌にまとわりつき、ぬるい風が首筋を撫でるたび、どこか遠くで春が静かに目覚める気配がした。
口の中でゆっくりと溶ける和菓子の甘さは、静かな水底を流れる緩やかな電流に似ている。綠舞國際觀光飯店でのティータイム。運ばれてきたお茶の白い湯気が視界をわずかにぼやけさせた。甘すぎると思ったけれど、それがいい。思考を停止させて、ただ味覚だけを研ぎ澄ます時間は、何よりも贅沢な空白だった。
浴衣に着替えた瞬間、誰かが「お前、なんか修行中の見習いみたいだな」と吹き出した。帯の結び目が不格好に歪んでいるのが、どうしようもなく可笑しい。私たちは鏡の前で互いの格好を散々ツッコミ合い、結局誰も正しく着こなせていなかった。でも、その不格好さこそが、この旅の正しいリズムなのだと感じた。
カピバラたちがのんびりと過ごす動物エリアで、ボートに揺られたときの絶妙な心地よさ。水面が小さく波打ち、私たちの会話を断続的に切り裂いていく。ボートがゆっくりと進むたび、日常のしがらみが水底に沈んでいく感覚があった。カピバラはきっと、「うるさい人間たちが来たな」と呆れていたに違いない。
深夜3時。部屋の窓の外に広がる海は、深いグレーとブルーが混ざり合った、名前のない色をしていた。エアコンの低い唸り音だけが部屋を満たし、隣で誰かが静かな寝息を立てている。一人で起きているこの時間は、孤独ではなく、自分という輪郭を取り戻すための必要な儀式だった。
裸足で踏んだタイルの冷たさが、足の裏から脳まで突き抜ける。サウナで火照った体に、心地よい水圧のシャワーが降り注ぎ、石鹸の香りが指の間で泡となって消えていく。お湯に浸かると体の境界線が溶けて、自分が水の一部になったような錯覚に陥る。重力から解放され、ようやく呼吸が深くなった。
苔玉作りで、指の爪の間に黒い土が入り込んだ。誰が一番綺麗に作れるか競っていたはずなのに、気づけば全員が泥だらけの、得体の知れない塊を抱えていた。完璧に作ろうとするのを諦めたとき、不揃いな緑の塊が、なんだか愛おしく見えてきた。正解なんて、最初からなかったのかもしれない。
帰り道、沿道に咲き乱れる桐の花が、降り積もる雪のように白かった。3月の光は柔らかく、すべてを優しく包み込んでいる。私たちはもう、誰が遅刻したかなんて気にしていない。ただ、この湿った風と、心地よい疲労感を共有できていることに、静かな充足感を感じていた。
白い花びらが、肩にひとつだけ乗っていた。
- 浴衣を着て園内を散歩して、あえて不格好な写真を撮り合ってみて
- 苔玉作りで、誰が一番「芸術的に失敗するか」を競ってみて