喧騒に包まれた家族を、なぜこの静寂へと連れてきたのか。
6月の台東は、太陽がすべてを白く塗りつぶそうとするほどに眩しく、世界が光の粒子で満たされている。太平洋から運ばれてきた塩気を含んだ濃密な風が、汗ばんだ首元を執拗になで、肌にはじっとりと熱気がまとわりつく。そんな外界の喧騒から切り離されるように沐舍文旅沐舍文旅-鐵花秀泰館(臺東縣旅館008號)のロビーへ足を踏み入れた瞬間、肺の奥まで届く冷ややかな空気が、火照った身体を心地よく締め付けた。しっとりと落ち着いた木の香りが鼻腔をくすぐり、そこには都会では忘れかけていた深い静寂が横たわっている。
正直に言えば、幼い子供二人を連れての旅は、優雅さとは程遠い戦いのようなものだ。「あっちに行きたい」と駄々をこねる上の子と、「お腹がすいた」と泣き出す下の子。私はただ、その混沌としたリズムに翻弄され、心までささくれ立っていた。けれど、部屋に入り、裸足でフローリングを踏んだとき、そのひんやりとした温度に、ふっと肩の力が抜けたのが分かった。木質の温もりが、家族の騒がしさを優しく吸収し、浄化してくれる。大きな65インチのテレビから流れる穏やかな映像は、午後の激しい昼寝タイムには心地よいホワイトノイズとなり、私たちを深い休息へと誘ってくれた。ここは単なる宿泊場所ではなく、バラバラに散らばった家族の感情を、ひとつの心地よい温度に整えてくれる、静かな調律師のような空間だった。
子供たちの瞳に映った、一番の「魔法」は何だったか。
「ねえ、ここって魔法の宝箱みたいだね!」下の子が不意に声を弾ませたのは、3階にある交誼庁(ラウンジ)にいたときだった。窓から差し込む午後の強い日差しが、空間全体を濃厚な蜂蜜色に染め上げている。そこには24時間いつでも利用できるコーヒーやスナックのバーがあり、子供たちにとっては、自分たちだけの秘密の隠れ家を見つけたような高揚感があったのだろう。サクサクとしたクッキーを小さな手で掴み、口の周りを白くして笑う我が子の横顔。その無垢な喜びに触れたとき、私はふと自問した。「旅の成功とは、計画通りに観光地を巡ることではなく、こうした贅沢な『空白の時間』をどれだけ持てるかということなのではないか」と。
さらに、子供たちが意外にも夢中になったのが、バスルームのTOTO製ウォシュレットだった。「ボタンを押すと水が踊るよ!」と大はしゃぎする彼らに、私は苦笑いするしかなかったけれど、その小さな驚きこそが、彼らにとっての旅のハイライトだったのかもしれない。設備が新しいことは、大人にとっては単なる「利便性」に過ぎないが、子供にとっては世界を広げる「新しい発見」になる。清潔でパリッとしたリネンに飛び込み、もがいているうちに、部屋の中は弾けるような笑い声で満たされていく。外の猛暑を忘れさせてくれる冷房の心地よさと、雲に包まれているかのようなベッドの感触。そういう単純で確かな快楽が、子供たちの心をゆっくりと解きほぐしていくのが手に取るように分かった。
旅路の果てに、心に深く刻まれるのはどのような記憶か。
チェックアウトの朝、バイキング形式の朝食を囲みながら、私たちは昨日までの出来事を振り返っていた。地元の滋味が凝縮された炒麺の香ばしい湯気が立ち上り、淹れたてのコーヒーの香りが心地よく漂う。スタッフの方々が、子供たちのたどたどしい挨拶に、まるで遠い親戚の子を迎えるように自然な笑顔で応えてくれた。その眼差しに触れたとき、胸の奥がじんわりと温かくなった。もしかしたら、私たちが本当に求めていたのは、豪華な設備ではなく、こういう「ありのままの自分たちが受け入れられている」という根源的な安心感だったのかもしれない。
旅の途中で起きた小さなトラブルや、子供たちのわがまま。当時は「もう限界だ」と溜息をついていたけれど、今振り返れば、それこそがこの旅の輪郭を鮮やかに彩っていたことに気づく。完璧な家族旅行なんて、きっとどこにもない。あるのは、不器用に、でも懸命に一緒に時間を過ごそうとした記憶だけだ。沐舍文旅沐舍文旅-鐵花秀泰館(臺東縣旅館008號)という場所が、私たちの不完全な時間を、そのままの形で大切に保管してくれたような気がする。心地よい疲れとともにホテルを離れるとき、振り返るとそこには、夏の光を反射して白く輝く建物があった。私たちは、出発前よりも少しだけ、お互いのことが好きになっていた。
窓から差し込む黄金色の光が、子供の柔らかな髪を優しく照らしていた。
- 徒歩数分の「鉄花村」へ。夜の灯籠が灯る頃、音楽の波に身を任せて家族で散歩するのがおすすめ。
- 朝食の炒麺は必食。早起きして地元の味を堪能し、台東の澄んだ朝の空気を胸いっぱいに吸い込んでほしい。