← 戻る 南紀白浜 和みの湯 花鳥風月

浴衣の袖が、少しだけ長すぎた午後

裸足で踏みしめた廊下の木の温度が、心地よくひんやりとしていた。どこか懐かしい杉の香りが鼻をくすぐる。下の子がパンダルームの壁に描かれた愛らしい絵を見つけ、吸い寄せられるように床にぺたっと張り付いている。上の子は「早くお風呂に行こうよ!」と急かしながら、足元で転がるおもちゃをわざと踏みつける。そんな不器用で小さな足音が、静まり返った館内に軽やかに跳ねていた。



半露天風呂に身を沈めると、肌を刺す四月の冷たい風と、芯まで解きほぐすお湯の熱さが同時に押し寄せてくる。冷と熱、どちらが正解なのかわからないまま、ただぼーっと淡い空を眺めていた。肺の奥まで澄んだ空気が入り込み、強張っていた肩の力がゆっくりと抜けていく。隣で「お湯が魔法みたい!」とはしゃぐ子供たちの高い声が、遠くで鳴り響く白良浜の波音に溶け込んでいく。ここでは、ただ呼吸をしているだけでいい。そんな贅沢な諦めのような心地よさに包まれていた。


この宿の木造建築は、音の響き方がとても丁寧だ。廊下で誰かがふふっと笑うと、その音がゆっくりと減衰しながら、厚い壁や天井に吸い込まれていく。まるで静謐なホールで聴く音楽の残響(リバーブ)のようだ。家族で些細な言い合いをした後の、あの気まずい沈黙さえも、ここでは心地よい空白として機能している。「ごめんね」と言わなくても、空間がそれを許してくれている気がした。完璧な調和なんてなくていい。不協和音も含めて、それが私たちの家族が奏でる固有の周波数なのだから。


朝食に運ばれてきた出汁巻き玉子を口に運ぶ。じゅわっと溢れ出す出汁の芳醇な香りと、卵の優しい甘みが舌の上で踊る。料理長が毎朝丁寧に引くという出汁の深いコクが、まだ微睡みのなかにいた体にゆっくりと染み渡っていく。隣で、上の子が干物を口いっぱいに頬張りながら、「これ、本当に美味しいね」と短く呟いた。豪華な会席料理の華やかさよりも、こういう何気ない一口の記憶こそが、数年後の私たちをこの場所へ連れ戻してくれるのかもしれない。


午前七時の光が、部屋の隅にある太い木の柱に斜めに差し込んでいた。空気中を舞う小さな埃が、黄金色の光の粒になって静かに踊っている。窓の外に広がる田辺湾の深い青が、夜明けとともに少しずつ白んでいく。時計の針が刻む規則的な音さえも贅沢に感じるほど、時間は凪のようにゆっくりと流れていた。何かを成し遂げなければならないという、日常に張り付いた焦燥感が、潮風にさらわれて静かに消えていくのがわかった。


子供に貸し出した浴衣の袖が、あまりに長すぎて小さな指先が完全に隠れている。下の子がそれを「見て!スーパーマンのマントだよ!」と叫び、廊下を全力で走り抜けていく。帯が緩み、裾をずりながら走る不格好な姿に、ふっと笑いが漏れた。私はコンタクトレンズをしていなかったため、遠ざかる子供の姿が淡い水彩画のようにぼんやりと霞んでいたけれど、その輪郭こそが、この旅で一番鮮明に心に刻まれたハイライトだったと思う。


夜、布団を隙間なく並べて横になると、家族全員の呼吸が静かに重なり合う。誰かが寝返りを打つ衣擦れの音、小さく漏れる寝息。南紀白浜 和みの湯 花鳥風月という場所が、私たちを優しく包み込んでくれる大きな器のように感じられた。孤独が完全に消えることはないけれど、隣に誰かがいるという確かな体温だけが、何よりも強い安心感となってそこにある。明日になればまた喧騒のなかへ戻るけれど、この静かな残響を心に抱いていれば、きっと大丈夫だ。

窓の外で、春の夜風が静かに木々を揺らしていた。

  • お子様と一緒に、パンダルームの可愛い装飾を全部探す「宝探しゲーム」で、宿の隅々まで楽しんでみてください。
  • 朝食の出汁巻き玉子の味を、お子様と一緒に言葉にしてみる時間は、五感を刺激する豊かな体験になります。