同じ時間、違う温度の視線
ベッドサイドテーブルに残った、小さなコーヒーの輪染み。僕のものではないけれど、コースターで隠そうとは思わなかった。11月の名古屋は、空気が少しだけ乾燥していて、肌に触れる風が心地よく冷たい。ニッコースタイル名古屋のラウンジに足を踏み入れたとき、まず耳に届いたのは、GENEVAスピーカーから流れる低く、心地よいベースラインだった。その振動が足の裏からゆっくりと伝わってきて、僕たちの間に流れる、名前のつかない沈黙をうまく埋めてくれているような気がした。ソファのファブリックは少しざらついていて、隣に座る君との距離を測るたびに、指先がその感触をなぞる。君が何を考えているのかはわからない。ただ、君が時折見せる、小さく肩をすくめる仕草が、今の僕たちにとって一番正直な会話なのだと思う。注文したコーヒーの苦みが舌の上に残り、それがなんだか、今の僕たちの関係に似ているな、と感じていた。
ラウンジの隅に飾られたアートフラワーの、鮮やかすぎる色彩が目に飛び込んできた。本物の花ではないけれど、だからこそ、時間が止まったままの静けさを持っている。目の前にあるコーヒーカップから立ち上る白い湯気が、ゆっくりと視界を遮り、その向こう側で君がぼんやりと外を眺めている。君の横顔を盗み見ながら、私は自分の指先が冷たくなっていることに気づいた。本当は、その手をそっと握りたいけれど、今の私たちは、まだその「正解」に辿り着いていないのかもしれない。そんなとき、私はわざとらしく、カウンターに向かって颯爽と歩き出そうとした。けれど、運悪く靴の先がラグの端に引っかかり、派手にバランスを崩しそうになった。君が小さく吹き出したのがわかった。その笑い声が、張り詰めていた私の心の糸を、ふっと緩めてくれた気がした。完璧じゃないことが、こんなに安心することを、私は今まで知らなかった。
ふたりが触れた、ひとつの輪郭
結局、私たちが一番心地よいと感じたのは、夜の帳が降りた後の屋上テラスだった。冷たい金属製の手すりに触れたとき、指先から伝わる鋭い温度に、ふたり同時に小さく肩を震わせた。目の前に広がる名古屋の夜景は、きらきらとした光の粒が、まるで誰かがこぼした宝石のように散らばっている。遠くに見える赤い航空障害灯が、ゆっくりと、一定のリズムで点滅していた。そのリズムに合わせるように、私たちは言葉をなくした。でも、それは寂しい沈黙ではなく、同じ周波数にチューニングを合わせたときのような、静かな充足感だった。隣にいる君の体温が、コート越しにわずかに伝わってくる。私たちは、お互いの欠けている部分を埋め合わせるのではなく、ただ、その空白を一緒に眺めていればいいのだと、そのとき気づいたのかもしれない。11月の夜風が、私たちの間にあった迷いを、さらさらと拭い去ってくれたという気がする。ただそこに在ること。それだけで十分だと思える時間が、そこにはあった。
冷たい夜風に混じって、どこかから甘い香りが漂ってきた。
- 鶴舞公園の紅葉が色づく頃、あえて目的地を決めずに歩いてみる
- ラウンジの音楽に身を任せて、言葉にならない気持ちをコーヒーに溶かしてみる