迷宮への招待状と、賑やかな言い争い
「ねえ、地図見てるよね?なんで今、私たちは完全に逆方向に歩いてるの?」
誰かが呆れたように声を上げた。三月の宜蘭は、湿った土の匂いが混じる風が頬を撫でる。私たちは、桐の花が咲き誇るはずの山道で、完全に方向感覚を失っていた。
「信じられないと思うけど、この道こそが『秘境』への近道だって書いてあった気がするんだよ!」
「『気がする』で旅程を決めた結果がこれかよ!誇張じゃなく、もう一度ホテルに戻って昼寝したほうがマシなんじゃない?」
誰かが大笑いし、それに合わせて別の誰かが激しくツッコミを入れる。目的地に辿り着くことよりも、誰が一番情けないミスをするかという賭けに夢中な私たちだった。
宮廷の静寂に抱かれて
香格里拉冬山河渡假飯店のロビーに足を踏み入れた瞬間、外の喧騒が嘘のように消え、ひんやりとした静謐な空気が肌を包み込んだ。英国風の宮廷建築を模したその空間は、重厚な調度品が放つ古い木の香りと、どこか懐かしいアロマが混ざり合っている。足元の厚い絨毯は、私たちの騒がしい足音をすっと飲み込み、まるで宮殿の歴史がすべてを許容しているかのようだ。ロビーに飾られた豪華な装飾や、無料で試着できる宮廷服の鮮やかな色彩が、日常を忘れさせ、私たちを非日常の物語へと誘う。
客室に入ると、そこには温もりある実木(天然木)の装飾が施されており、視覚的な心地よさが心まで解きほぐしていく。ベッドに体を投げ出すと、パリッとしたリネンのひんやりとした感触が肌に触れ、次第に体温で温まっていく。その心地よい変化に身を任せていると、旅の疲れがゆっくりと溶け出していくのが分かった。バスルームのタイルは裸足に心地よい冷たさを伝え、蛇口をひねれば勢いよく流れ出す湯気が、大地の奥底から汲み上げたような素朴な香りを運んできた。湯船に浸かり、肩まで深く沈み込むと、身体の境界線が曖昧になり、心地よい倦怠感が波のように押し寄せてくる。それは、無理に何かを解決しようとするのではなく、ただそこに在ることを許された贅沢な時間だった。
夜、ふと思い立って訪れた水上のチャペル。そこには、昼間の喧騒が嘘のような、深い静寂があった。水面に反射する光が、天井でゆっくりと揺れている。その光の動きを眺めていると、時間の流れ方が変わった気がした。一秒が、普段の三倍くらいの長さを持っている。誰かが隣で小さく息を吐く音が、映画のサウンドトラックのように鮮明に聞こえる。私たちは、あえて言葉を交わさなかった。ただ、冷え始めた夜風に身を縮めながら、水面に映る自分たちの輪郭が、夜の闇に溶けていくのを静かに眺めていた。
午前三時の、嘘のない独白
「……ねえ、本当は今回の旅、誰一人として計画を完遂する気なかったでしょ」
間接照明だけが灯る薄暗い部屋で、誰かがぽつりと呟いた。外では夜風が木々を揺らす、さざなみのような音が聞こえる。
「正直に言うよ。私はホテルに着いた時点で満足してた。あの豪華なカーテンの裏に隠れて、一日中本を読んでいたかったし」
「あはは、らしいね。でも、あの迷子になった時間は、案外悪くなかった。誰かの情けない顔を見てる時が、一番安心するし」
「そうだね。完璧なスケジュールなんて、誰が決めたんだろう」
昼間の賑やかさとは違う、低くて静かな声。それは、暗闇という特権がくれた、お互いの弱さをさらけ出せる親密な時間だった。誰かが小さく欠伸をし、それからまた、誰かが小さく笑った。その笑い声は、夜の静寂に溶けて、心地よい余韻だけを残した。
窓の外では、白く小さな花びらが、夜風に吹かれてゆっくりと舞っていた。
- 228連休に訪れるなら、早朝の水上チャペルへ。静寂の中の光の揺らぎは最高の贅沢です。
- ホテルで提供されている宮廷服を試着して、お城のような回廊で記念撮影を楽しむのがおすすめ。