真夜中、誰が食欲に屈したか
3月の宜蘭の空気は、まるで濡れた薄いヴェールのように肌にまとわりつく。228の連休で街中が熱気に包まれていたが、蘭陽烏石港海景酒店のロビーに足を踏み入れた瞬間、外の喧騒が嘘のような静寂に包まれた。温かみのある照明が、旅の疲れを優しく解きほぐしてくれる。私たちは、誰が一番早くコンビニに辿り着けるかという、大人のすることではない幼稚な賭けに興じ、夜の湿った風を切って走った。戦利品は、地元の限定スナックと氷のように冷たい飲み物。プラスチック袋がカサカサと鳴る音が、静まり返った廊下に不自然に響き渡る。その音が、誰にも邪魔されない私たちだけの深夜の領土を主張しているようで、なんだか可笑しくてたまらなかった。
咀嚼音に紛れ込ませた、本音の断片
「ちょっと待って、この部屋、完全に子供用じゃない?私たち、もういい大人だよ」
Aがポテトチップスを口に放り込み、壁に描かれたカラフルなイラストを指差して笑った。私たちは、その子供向けファミリールームのど真ん中に、コンビニで買い込んだ大量の戦利品をぶちまけて座り込んだ。足裏に触れる青い絨毯の柔らかな感触と、チップスの塩辛い香りが、密閉された空間に心地よく充満していく。
「いいじゃん。たまにはこういう『正解じゃない』空間に身を置くのも。っていうか、今回の旅の計画、誰が立てたんだっけ」
「私でしょ。でも、誰が『全部任せた』って言ったっけ?」
「あ、それは君だね」
そんな、結論の出ない、意味のない会話。けれど、それがいい。効率や正解、誰が正しいかという「大人の周波数」に合わせて生きる日常から切り離され、ここでは「どっちのチップスがより塩辛いか」という些細なことが、世界で一番重要な議題になる。私たちは互いに軽口を叩き合いながら、いつの間にか、普段なら口にするはずのない、少しだけ重い話を始めた。誰にも言えなかった将来への不安や、今の仕事に対する拭えない違和感。子供向けの明るい壁紙に囲まれているからこそ、不思議と、そういう暗い色の感情をさらけ出しても、それが深刻になりすぎない。まるで、外界から遮断された安全なシェルターにいるみたいに、心の中の澱をゆっくりと吐き出していった。
満たされた後の、凪のような静寂
最後の一片まで食べ尽くし、袋を丸めて片付けた後、部屋には心地よい疲労感と、深い静寂が降りてきた。誰からともなく、備え付けの浴槽に身を沈める。ナノミルクバスという、名前からして贅沢な白いお湯。温度はちょうどよく、肌に吸い付くような滑らかさがある。お湯に浸かると、昼間の歩き疲れが、白い雲の中に溶け出していくのがわかった。風呂上がり、ふと窓の外を見ると、深い紺色の海の上に、ぼんやりと亀山島が浮かんでいた。3月の夜の海は、底知れない深さを湛えていて、時折、遠くで波が岸を叩く音が聞こえる。その音は、とても正確で、嘘がない。私たちは、誰が先に寝るかという賭けはせず、ただ、それぞれが広々としたベッドに潜り込んだ。シーツのひんやりとした感触と、自分の体温が混じり合う心地よさ。広い部屋の中で、互いの呼吸の音がかすかに聞こえる。孤独ではないけれど、一人になれる。そんな贅沢な距離感が、蘭陽烏石港海景酒店の夜にはあった。明日になればまた、それぞれの「正解」がある世界に戻るけれど、この夜に共有した、くだらなくて、少しだけ切ない静寂だけは、きっと消えないだろう。
窓の外で静かに夜が明け、亀山島がゆっくりと青い輪郭を取り戻していく。
- 宜蘭のコンビニで地元の限定スナックを。あえて買いすぎた分だけ、夜の会話は深くなる。
- 早起きして、ベッドに寝転んだまま亀山島のシルエットを眺める。それが最高の贅沢だ。