「忘れ物王」決定戦という名の不毛な賭け
「賭けていいよ、絶対誰か充電器忘れてるって」
「は?誰がだよ。私は完璧にパッキングしたし」
「あ……私、忘れたかも」
「ほらな!やっぱり!」
爆笑がロビーに響き渡る。12月の台東に到着してわずか10分。キャリーケースが石畳を転がる乾いた音と、冷たい潮風が混ざり合う中、私たちは緻密に練り上げたはずの計画表をゴミ箱に投げ捨て、誰が一番ひどい忘れ物をしたかを競い始めた。
「っていうか、そもそも地図持ってるやつ誰?」
「……ないかも」
「最高かよ、このチーム!」
呆れ顔の裏で、みんなの口角が上がっている。完璧な旅なんて、最初から期待していなかった。むしろ、この絶望的な準備不足こそが、私たちの旅の正解なのだと感じていた。
鮮やかな黄色と、深い青に沈む静寂
外は冷たい。首筋にまとわりつく冬の東北季風が、肺の奥まで白く塗りつぶしていく感覚がある。台東海平面民宿の黄色い外壁に触れると、冬の陽光を吸い込んだ石のざらついた温度が指先に伝わってきた。その色は、グレーに傾きがちな12月の空の下で、海辺に迷い込んだ大きなレモンのように鮮やかで、どこか可笑しい。けれどその明るさが、旅の緊張をふわりと解いてくれる。
部屋に足を踏み入れた瞬間、視界は深い青に染まる。海洋テーマの客室は、単に色が青いということではない。そこに身を置くと重力が緩やかに変わり、深い水底へ沈んでいくような静寂が訪れる。裸足で踏みしめたタイルのひんやりとした感触に一瞬肩がすくむが、その冷たさがあるからこそ、バスルームの白い湯気に包まれたときの解放感が、皮膚の深層まで染み渡っていく。バルコニーに出れば、目の前には岩だらけのビーチが広がり、波が岩にぶつかって弾ける白い飛沫の音が、不規則なリズムで鼓膜を叩く。その音を聴いていると、日常で抱えていた小さな悩みさえも、ただの背景音に変わっていく気がした。
ロビーで提供されるウェルカムティーの時間は、この宿の至福のひとときだ。濃厚なチーズに添えられた金鑽鳳梨醬の、完熟したパイナップルの濃厚な甘みが舌の上で踊り、香ばしいカヌレの芳醇なバターの香りが鼻腔をくすぐる。そこに酸味の効いたロゼル茶を合わせれば、心まで鮮やかに塗り替えられていく。ふと足元を見ると、「呉郭魚」という名の猫が、隙あらば部屋に入り込もうと前脚をドアの隙間にねじ込んでいる。その必死で不器用な様子に、私たちはまたくだらない言い争いを始めた。彼が部屋に侵入できるか、できないか。そんなどうでもいいことに、私たちは本気で熱くなれた。
19度の夜風と、本音の温度
「……ねえ、本当は来るの怖かったんだよね」
部屋の明かりを落とし、バルコニーで冷えた空気を吸いながら、誰かがぽつりと呟いた。昼間の喧騒が嘘のように、声のトーンが一段低くなる。夜の海から届く、湿り気を帯びた冷たい風が頬を撫でた。
「え、何それ。急にエモいこと言うなよ」
「だって、今のままでいいのか分かんないし。全部リセットして、どこか遠くに行きたいなって思ってた」
「いいじゃん。ここでは、ただの『忘れ物が多いやつ』でいられるし」
誰かが持ってきた竹筒に入った粽を頬張る。もっちりとした食感と、竹の爽やかな香りが口いっぱいに広がり、冬の潮風のしょっぱさと混ざり合う。温かい食べ物が胃に落ちていく感覚が、不安で震えていた心をゆっくりと落ち着かせてくれた。声は小さくなっていたけれど、心地よい振動が、隣に座る友人の肩を通して伝わってくる。私たちは、お互いの欠落を埋め合うのではなく、その欠落があるままに、ただ隣に座っている。それだけで十分だと思えた。
水平線から金色の線が一本、静かに、でも確実に世界を塗り替えていく。
- 窓の外に広がる太平洋を眺めながら、ゆっくりと浴槽に浸かる贅沢な時間を。
- 迎賓ティータイムの、金鑽鳳梨醬を添えたチーズで心まで甘く満たされて。