誰が言い出したかさえ曖昧な、真夜中の空腹
6月の台東の夜は、空気そのものが濡れた綿のように重く、呼吸するたびに肺の奥までしっとりとした湿り気が溜まっていく。指先に食い込むビニール袋の取っ手が、じっとりとした汗で滑りそうになる。コンビニで買い込んだ正体不明の菓子パンと、結露で冷たくなった飲み物を抱え、私たちは台東海平面民宿の鮮やかな黄色い壁に向かって歩いていた。街灯に照らされたその建物は、夜の闇に溶け込むことを拒むように、どこか誇らしげにそこに立っている。足元のコンクリートから伝わる熱は、まだ昼間の強烈な太陽を記憶しているかのようで、サンダルの底を通してじわりと足裏に伝わってきた。誰が「お腹が空いた」と呟いたのか、そのきっかけさえもう曖昧だ。けれど、この湿った夜の匂いと、袋の中でカチャカチャと鳴る氷の音だけが、今の私たちにとっての心地よい世界のすべてだった。
ぬるくなったサイダーと、答えの出ない未来の話
「信じられないと思うけど、本気で明日の日の出に間に合うと思ってたやつ、誰?」
ベッドに大の字に寝そべった誰かが、天井を見上げながら呆れたように言った。部屋の中には、冷房の低い唸りと、開け放ったバルコニーから入り込む太平洋の潮風が心地よく混ざり合っている。
「ぶっちゃけ、東浪嘉年華で踊りすぎたのが悪いし。足がもう、自分の意思とは関係なく震えてるもん」
「盛りすぎ。それより見てよ、このマンゴー。剥こうとしたけど、結局どうすればいいか分からなくて、手が全部黄色くなった」
テーブルの上には、惨敗した跡のようなマンゴーが転がっている。果汁が白いシーツに一滴だけ飛び散っていて、それがなんだか滑稽で、私たちはそれを「青春の芸術的な汚れ」と呼ぶことにした。
「賭けてもいいけど、この中で一番先に社会の荒波に揉まれて、泣きながらここに逃げ帰ってくるのは、たぶん君だね」
「ひどいな。でも、もし本当にそうなったら、またこの部屋に泊まって、同じようにくだらないことで言い合いたいかも」
そんな会話が、途切れ途切れに夜を埋めていく。卒業という、人生の大きな区切りがすぐ目の前にあるのに、今の私たちには、目の前のぬるくなったサイダーの泡がパチパチと弾ける音の方が、ずっと切実で重要な問題に感じられた。正解なんてどこにもないけれど、この不完全で贅沢な時間こそが、一番心地いいと感じるのはなぜだろう。
満たされた胃袋と、凪のような静寂
菓子パンの袋がしわくちゃになり、飲み干したペットボトルがテーブルに転がる。言葉が尽きた後の静寂は、決して空虚なものではなかった。それは、満たされた胃袋と心地よい疲労感を伴った、凪のような沈黙だ。バルコニーから聞こえてくる波の音は、一定のリズムで部屋の隅々まで浸透し、私たちの意識をゆっくりと深い場所へといざなう。海洋テーマの客室にふさわしく、二人でもゆったりと浸かれる広い浴槽に体を沈めると、お湯の温度で皮膚の境界線が曖昧になり、心までほどけていく感覚に包まれた。タイルのひんやりとした感触と、立ち上る湯気の温かさ。窓の外に広がる夜の海は、真っ黒なインクをぶちまけたように深いけれど、そこには確かに、目に見えない巨大な生命が呼吸している気配があった。私たちは、自分たちが何者であるかとか、これからどこへ向かうかといった大きな問いを、一時的にこの部屋の隅に置いておくことにした。ただ、今のこの温度と、肌に触れる水の感覚だけを信じていればいい。そんな気がした。
月明かりに照らされた黄色い壁が、ゆっくりと夜の深い青に溶けていく。
- 地元の市場で買った完熟マンゴー。不器用な時間さえも贅沢な思い出になるはず。
- 深夜のコンビニで買う、少し贅沢なアイスクリーム。潮風に当たりながら食べるのが正解。