08:00、朝食ホールの喧騒と湯気
プラスチックのスプーンが陶器の器に当たる、乾いた音が耳に届く。目の前では、次男がDIY担仔麺のスープに夢中で、麺を啜るたびに頬に白いつゆが飛んでいる。5月の台東の朝は、少しだけ湿り気を帯びた風が通り抜け、ホールの大きな窓から差し込む光が、テーブルの上のジャムの瓶をキラキラと反射させていた。
家族で旅をするということは、個々のリズムがバラバラな楽器を無理やり一つの曲にまとめるようなものかもしれない。長女はもう自分のペースで果物を盛り付けているし、夫はまだ半分眠った目でコーヒーを啜っている。でも、その不協和音こそが、今の僕らにとっての心地よいBGMなのだという気がする。地元の食材を使った料理たちが並ぶ中、子供たちが「これ、なんだろうね」と指差すたびに、僕らの視界に新しい色が加わっていく。完璧なスケジュールなんて最初からなかったけれど、この賑やかな混乱こそが、旅の正体なのだろう。
14:00、冷たいタイルと昼下がりの気だるさ
部屋に戻った瞬間、裸足の裏に触れたタイルのひんやりとした温度に、ふっと肩の力が抜けた。外は26度の熱気が肌にまとわりつき、百合の花の甘い香りが風に乗って運ばれてくる。子供たちは、部屋に入った途端に靴を脱ぎ捨て、どちらが先にベッドに飛び込めるか競い合っている。
台東富野渡假酒店の部屋の広さを測るのは、面積ではなく、子供たちが全力で走り回れる距離で考えるべきかもしれない。ドアからベッドまで、そしてベッドからバスルームまで。その短い距離を何度も往復し、やがて疲れ果てて大の字に倒れ込む彼らの姿を見ていると、僕らの関係性はまるで水滴の表面張力のようだと感じた。激しく揺さぶられても、最後には一つの塊に戻ろうとする。
ふと気づくと、次男がホテルの白いバスタオルを肩にかけ、自称「台東のヒーロー」になって廊下をパトロールしていた。そんな小さな、どうでもいい瞬間にこそ、本当の休暇の意味が隠れている気がする。エアコンの効いた部屋で、冷たい飲み物を飲みながら、ただぼーっと外の景色を眺める。何もしないという贅沢が、じわじわと身体の奥まで染み込んでいった。
19:00、オレンジ色の空と静かな予感
窓の外では、空がオレンジから深い紫色へと溶け出していく。5月の台東は、海と山の境界線が曖昧になる時間帯がとても美しい。子供たちは、今日見た東浪嘉年華の賑やかさについて、口々に、しかも同時に話し始めている。誰が何を言っているのか正直よく分からないけれど、その声のトーンには、純粋な興奮が混じっていた。
夕食後の心地よい疲労感が、家族全員をゆっくりと包み込んでいく。誰かが誰かの肩に頭を預け、誰かが小さくあくびをする。そんな風景を眺めていると、孤独というものは、一人でいることではなく、誰と一緒にいても消えない、自分だけの静かな部屋のようなものだと思い出した。でも、このホテルで過ごす時間は、その部屋のドアを少しだけ開けて、誰かを招き入れる勇気をくれる気がする。
「明日もまた、変なことしようね」と長女が呟いた。その言葉に、僕らはなんとなく頷いた。旅の目的が「何かを成し遂げること」ではなく、「ただ一緒にいること」に変わった瞬間だったのかもしれない。空気の中に混じる潮の香りと、遠くで聞こえる車の走行音。すべてが、ちょうどいい距離感で僕らの周りを流れていた。
22:00、大人の時間と紅焼鰻の秘密
子供たちが深い眠りに落ち、部屋に本当の静寂が訪れる。ようやく訪れた、僕ら大人の時間だ。パジャマに着替え、忍び足で向かったのは、このホテルで密かに楽しみにしていた夜食のビュッフェ。深夜の静まり返った空間に、温かい料理の香りが漂っている。
皿に盛った紅焼鰻を一口運ぶ。甘辛いタレの濃厚な味が舌の上で広がり、一日の緊張が完全に解けていく。この味は、昼間の喧騒の中では決して味わえない、贅沢な静寂の味がした。夫と隣り合わせに座り、低い声で「あの子たち、本当に疲れたみたいだね」と笑い合う。
僕らは、親という役割を演じることに必死で、時々自分たちがどこにいるのかを見失いそうになる。けれど、こうして夜の静寂の中で美味しいものを食べ、お互いの存在を再確認することで、また明日から「親」に戻れる気がする。不完全なまま、迷いながら、それでも一緒に歩いていく。その不確かさこそが、僕らの家族の形なのだろう。
部屋に戻り、眠っている子供たちの寝顔を覗き込む。片方の靴下を脱ぎ捨てたまま眠る次男の足先を見て、ふふっと笑みが漏れた。この乱雑で、愛おしい景色を、僕はきっとずっと覚えているだろう。
月明かりに照らされた白いシーツの上で、僕らは深く、静かに眠りに落ちた。
- 夜食ビュッフェの紅焼鰻は、大人だけの秘密の時間にぜひ味わってほしい。
- 5月の台東は湿度が高いため、子供たちには着替えを多めに持っていくのが正解かもしれない。