朝の光と、不揃いなリズムが奏でる食卓
冷房が心地よく効いたロビーを抜け、レストランに足を踏み入れた瞬間、焼きたてのパンの香ばしい香りがふわりと鼻先をくすぐった。娜路彎大飯店での朝は、いつも少しだけ賑やかで、心地よい混乱に満ちている。次男が「このパン、石みたい!」と、手作りの欧州風パンを不思議そうに眺めていた。実際には外側がカリッと香ばしく、中は驚くほどもっちりとした食感なのだが、子供にとっての「未知の触感」は、時に警戒の対象になるらしい。私は冷たいオレンジジュースのグラスを指先でゆっくりと転がしながら、その微笑ましい光景を眺めていた。グラスの表面に細かな結露がつき、指の間を冷たい雫がゆっくりと滑り落ちる。そのひんやりとした温度だけが、今の私にとって確かな現実だった。長女は、プレートに山盛りのフルーツを盛り付けることに没頭していた。瑞々しいスイカ、黄金色のパイナップル、濃厚なパパイヤ。色鮮やかな果実が、白いお皿の上で小さなパレットのように並んでいく。大人はコーヒーの深い苦味で意識を覚醒させようとするけれど、子供たちはただ、目の前にある色彩と甘さに夢中だ。誰かがフォークを落とした高い金属音が、吹き抜けの天井に反響して、心地よく散らばっていく。完璧な静寂なんてどこにもないけれど、この不揃いな音の重なりこそが、家族で旅をしているという何よりの証拠なのだと思う。もしかしたら、私たちは静けさを探しに来たのではなく、この賑やかな心地よさを再確認しに来たのかもしれない。
潮風に溶ける、黄金色の路地裏グルメ
昼過ぎの台東は、空気が白く濁っているように感じるほど、濃密な暑さに包まれていた。アスファルトから立ち上る陽炎が、視界をゆらゆらと揺らし、世界が溶け出していくような錯覚に陥る。私たちは海辺の公園まで足を伸ばし、「黄記の葱油餅」の列に並んだ。順番を待つ間、長女が「もう無理、暑すぎて溶けちゃう」と、私の腕にぐったりと体重を預けてきた。その肌はじっとりと汗ばんでいて、夏の重みがそのまま伝わってくる。ようやく手にした葱油餅は、紙袋越しでも分かるほど熱く、持っているだけで指先が熱を帯びた。一口かじると、じゅわっと溢れ出す油の香ばしさと、葱の凝縮された甘みが口いっぱいに広がった。指先に付いた油が、潮風に吹かれて少しだけベタつく。けれど、その不自由さがなんだか心地よかった。次男が「海がお魚の匂いがする!」と叫んで砂浜へ走り出したとき、私たちはみんなで声を上げて笑った。おしゃれなレストランでナイフとフォークを使い、作法通りに食べる食事よりも、こうして屋外で、口の周りを油で汚しながら頬張る食事の方が、ずっと記憶に深く、鮮やかに刻まれる気がする。寄せては返す波の音と、遠くで聞こえる誰かの笑い声。そして、口の中に残る塩気と油の余韻。それは、ガイドブックに載っている「絶景」よりもずっと人間味のある、私たちの旅の断片だった。もしかすると、旅の正体とは、こうした「ちょっとした不便さ」や「計画外の汚れ」の集積なのかもしれない。
深夜の静寂と、黄金色のクリスピーな時間
子供たちがようやく深い眠りに落ち、部屋に本当の静寂が訪れた。私たちが宿泊した星空湯屋房型のリネンは、肌に触れるとひんやりとしていて、心地よい重みがある。お風呂で心身を解きほぐした後、自分たちへのご褒美に注文した「香酥鴨」をテーブルに広げた。部屋の照明を少し落とすと、黄金色に輝く鴨肉が、まるで夜の静かな主役のように浮かび上がった。一口噛むと、パリッという小気味よい音が耳の奥まで響き、その後に濃厚な旨みがじわりと広がった。昼間の喧騒が嘘のように、今はただ、咀嚼する音と、遠くで鳴るエアコンの低いハム音だけが部屋を満たしている。ワイングラスの中で氷が小さくぶつかり合う音が、心地よいリズムを刻んでいた。隣で夫が「次はどこに行こうか」と小さく呟く。その声が、静まり返った部屋の中でとても優しく、親密に響いた。私たちは、明日もまた子供たちの「どうして?」という終わりのない質問に答え、迷路のような道を歩き、誰かが泣き出し、誰かが笑う一日を過ごすのだろう。けれど、この深夜の、静かで贅沢な時間があるからこそ、私たちはまた明日から「チーム」として戦える気がする。ベッドの端で丸まって眠る子供たちの規則正しい呼吸音が、最高のBGMだった。明日になればまた賑やかな混乱が戻ってくるけれど、今はただ、この黄金色の味と、静かな夜の温度を大切に抱きしめていたいと思った。娜路彎大飯店での夜は、そうしてゆっくりと、深い安らぎへと溶けていった。
窓の外で、夜の台東の風が、静かにカーテンを揺らしている。
- 地元の素材を活かした「香酥鴨」は、ぜひ夜の静かな時間に、ゆっくりと味わってほしい。
- 8月の台東は日差しが強いので、海辺へ行くときは、子供たちと一緒に冷たい飲み物を多めに用意することを。