← 戻る 洛碁大飯店 忠孝館

お風呂の湯気と、迷子の恐竜

ホテルの廊下に、プラスチック製の小さな恐竜が転がる乾いた音が響いた。誰が落としたのか、あるいは誰がわざと残したのか。その小さな音だけが、静まり返った空間に輪郭を与えている。10月の台北は、空気が驚くほど澄んでいて、深呼吸をするたびに肺の奥まで乾いた風が通り抜けていく。薄いジャケットを羽織り、子供たちの手を引いて歩く街は、色鮮やかで、少しだけ騒がしい。けれど、その騒がしさは不快なものではなく、街全体が大きな呼吸をしているような、心地よいリズムに感じられた。

なぜ喧騒の街に、家族という小さな船を停めるのか

台北の街を歩いていると、自分が巨大な川の流れに飲み込まれているような感覚になる。絶え間なく行き交うスクーターのエンジン音、屋台から漂う甘い香りと油の匂い、そして多言語が混ざり合う喧騒。家族で旅をすると、その流れはさらに複雑になる。上の子が「あっちに行きたい」と言い出し、下の子が「疲れた」と足を止める。計画という名の地図は、歩き始めてすぐに意味をなさなくなる。そんなとき、洛碁大飯店 忠孝館忠孝館という場所は、激流の中にふと現れた静かな水溜まりのような役割を果たしてくれた。

ロビーに足を踏み入れた瞬間、どこか寺院を思わせるお香のような濃密な香りが鼻をくすぐり、外の世界から切り離された感覚に陥る。ドアを開けて部屋に入れば、外の喧騒がふっと消え、心地よい静寂が肌に張り付く。ここは、無理に「完璧な家族」を演じなくていい空間だ。荷物を床に放り出し、靴を脱ぎ捨てて、ただそこに存在することだけが許される。捷運の駅がすぐそばにあり、わずか50メートル先には二十四時間営業のスーパーがある。この立地の良さは、単に「近い」ということではなく、「いつでも逃げ込める場所がある」という精神的な安全保障に近い。子供が不機嫌になり始めたとき、あるいは大人が少しだけ一人になりたいとき、数分歩けばそこに戻ってこられる。その安心感が、家族それぞれの緊張をほどき、心地よい弛緩へと変えてくれる。都市の速度に合わせるのではなく、自分たちのリズムで呼吸を取り戻すための場所。それが、このホテルに家族で潜り込む理由なのだと思う。

子供の瞳が一番輝いたのは、どんな景色だったか

子供たちにとってのハイライトは、観光地の絶景でも、有名な美術館でもなかった。彼らが一番興奮していたのは、部屋にある広々としたバスタブに、お湯が溜まっていく音を聞いていたときだ。蛇口から勢いよく流れ出る水が、白い浴槽の底で激しく渦を巻き、やがて静かな水面へと変わっていく。そこに泡風呂の入浴剤を投入した瞬間、白い雲のような泡が表面張力で盛り上がり、部屋いっぱいに甘いベリーのような香りが広がった。「見て!海みたい!」と上の子が叫び、下の子がその泡を手のひらで掬い上げては、わざと顔に塗りつける。そんな、なんてことのない光景に、私はふと、この旅の正解を見た気がした。

お湯の温度がちょうどよく、肌を包み込む感覚が、一日中歩き回って強張っていた子供たちの小さな体をゆっくりと解かしていく。水の中で手足をバタつかせ、笑い声を上げ、水しぶきがタイルの床に飛び散る。大人はそれを「片付けが大変だ」と嘆くけれど、その飛沫のひとつひとつが、この旅の鮮やかな記憶の断片なのだ。お風呂上がりに、近くのコンビニで買った台湾の不思議な味のお菓子を分け合いながら、パジャマ姿でベッドに転がる。上の子が「明日は、あのアイスクリーム屋さんにまた行こうね」と、誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。そのとき、家族の間を流れる空気は、穏やかな水面に広がる波紋のように、ゆっくりと、けれど確実に心地よい温度で繋がっていた。

部屋の鍵を返した後、心に何が残っているだろう

チェックアウトの朝、部屋の中は心地よい混乱に満ちていた。脱ぎ捨てられた靴下、半分だけ使われた歯ブラシ、そしてどこへ行ったのかわからない恐竜のおもちゃ。すべてをかき集めてスーツケースに詰め込む作業は、まるでバラバラになったパズルのピースを無理やりはめ込む作業に似ている。けれど、その不格好さがたまらなく愛おしい。もしこれが、すべてが完璧に整った、非の打ち所がない休暇だったなら、こんなに深く心に刻まれていただろうか。

10月の台北の光は、どこか懐かしく、淡い。窓の外に広がる街の景色を眺めながら、私はこの旅で得たものは「正解」ではなく、「許容」だったのだと感じた。子供が泣いてもいい、道に迷ってもいい、予定通りにいかなくてもいい。ただ一緒にいて、同じ温度の水を浴び、同じ景色を見て、同じタイミングで笑う。そんな、形のないけれど確かな繋がり。それは、冷たいグラスの表面にじわりと付く結露のように、静かに、けれど確かにそこに存在していた。ロビーを出て再び街の喧騒に足を踏み出したとき、頬を撫でた風は少しだけ冷たくなっていた。けれど、心の中には、あの温かいバスタブの湯気のような、柔らかな感覚がずっと残っている。

心地よい疲労感に包まれ、子供たちが寝息を立てる横顔を眺める夜。

  • 徒歩圏内の二十四時間営業スーパーで、見たこともない色の台湾菓子を買い込み、部屋で家族会議を開くのがおすすめ。
  • 子供たちが疲れたときは、迷わずバスタブにたっぷりのお湯を溜めて、水遊びの時間にすることを提案します。

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