← 戻る Grand Mercure Okinawa Cape Zanpa Resort

ベランダに残った、小さな濡れた足跡

ベランダに残った、小さな濡れた足跡

真っ白なシーツの上に、小さな、少しベタついた手のひらの跡がついた。子どもがアイスを食べていたときの手で、勢いよく飛び込んだ証拠だ。普通なら「あーっ!」と声を上げるところだけれど、不思議と今は、その汚れさえもこの旅の正しい色に見える。11月の沖縄の空気は、肌に触れるとちょうど心地よい温度で、冷たすぎず、かといって汗ばむこともない。そんな緩い時間が、ここには流れているという気がする。

なぜ、この場所で家族の時間を過ごしたかったのか。

ホテルのロビーに足を踏み入れたとき、まず感じたのは、空間が持つ「呼吸の深さ」だった。グランドメルキュール沖縄 ザンパ岬リゾートの沖縄スタイルルームに案内され、扉を開けた瞬間、ふっと肩の力が抜けるのがわかった。畳のい草が放つ懐かしく落ち着いた香りが鼻をくすぐり、窓から差し込む柔らかな光が、室内の静寂を優しく照らしている。70平米という数字上の広さよりも、実際に肌で感じたのは「子どもたちが走り回っても、誰の足にもぶつからない心の距離感」だった。ベッドからバスルームまで、裸足で歩いて何歩かかるか。子どもと一緒に数えてみたけれど、その歩数分だけ、日常のしがらみや焦燥感から遠ざかったような感覚があった。

家族旅行というものは、往々にして緻密な「チーム作戦」になりがちだ。誰かが機嫌を損ねれば作戦は崩壊し、誰かが疲れていれば全体のペースが落ちる。けれど、このゆとりある空間は、そんな小さな不協和音を優しく吸収してくれる大きな器のようだった。低く構えられたベッドに身を預けていると、「完璧なガイド」でいなければならないという強迫観念が、潮に洗われるように消えていく。ただ一緒に、この空間の静けさに身を任せていればいい。そんな風に、親である私たちをも解放してくれる場所だった。

子どもの瞳を一番に輝かせたものは、一体何だったのか。

プールサイドで、下の子が「ねえ、お水はどうしてこんなに青いの?」と、不思議そうに聞いてきた。私はすぐに答えられず、少しの間、二人でじっと水面を見つめた。陽光を反射してキラキラと踊るターコイズブルーの光。答えが出るまでの数秒間の空白。その心地よい「ラグ」こそが、リゾートで過ごす時間の正体ではないかと思う。日常では、質問には即座に答えなければならないし、分刻みのスケジュール通りに動かなければならない。けれどここでは、答えが出ないまま、ただ青い色を眺めていても誰にも怒られない。時間はゆっくりとした潮の流れのように、緩やかに過ぎていく。

子どもにとっての贅沢とは、きっとこういうことだ。ホテルの豪華な設備よりも、プールの底に沈んだ小さな石の形や、ビーチで拾った、誰にも気づかれないような歪な形の貝殻。そんな些細な発見に、彼らは全力で没頭する。ザンパビーチまで歩く10分間の道中、道端に咲く名もなき花に足を止め、草むらで虫の動きをじっと観察する。大人が「早く行こう」と言う代わりに、「本当だ、面白い形だね」と同調できたとき、子どもの瞳の中に、今まで見たこともないような好奇心の光が灯った。それは、どんなガイドブックにも載っていない、この場所でしか出会えない特別な景色だった。

旅路の果てに、心に深く刻まれるのはどんな景色か。

チェックアウトの朝、朝食で食べた南国フルーツの、あの鮮やかな甘さと、少しだけ酸っぱい後味が口に残っている。コーヒーの湯気がゆっくりと昇っていくのを眺めながら、私たちはこの旅で得たものを静かに整理しようとした。それは「素晴らしい思い出」という便利な言葉で片付けるには、あまりにも不格好で、人間味に溢れた時間だった。

上の子がわがままを言って泣いたこと、下の子がホテルの廊下で浴衣をマントにして走り回ったこと。予定していた観光スポットに半分も行けなかったこと。でも、ザンパ岬の先端で、空と海が溶け合うようにオレンジ色に染まっていく光景を家族で黙って眺めていたとき、不思議と「これでよかった」と感じた。言葉を交わさなくても、隣に誰かがいて、同じ温度の風を感じている。その事実だけで十分だった。完璧な計画を立てることよりも、計画が崩れたあとに見つかる小さな喜びを分かち合うこと。それが、家族というチームで旅をすることの、本当の意味なのかもしれない。

夕暮れのビーチで、子どもが私の指をぎゅっと握った、あの小さくて温かい感触を連れて帰ろう。

  • ザンパビーチへは、あえてゆっくり歩いてみてください。道端の小さな発見が、子どもたちにとって最高の宝物になります。
  • 沖縄スタイルルームの広い空間を活かして、夜は家族全員で床に転がり、ただ天井を眺めて静寂を分かち合う時間を過ごしてみてください。