← 戻る ホテルみゆきビーチ

指先に残った塩の粒と、言いそびれたこと

深夜二時、誰が食欲のスイッチを押したのか

指先の皮膚に、小さな白い粒が張り付いている。昼間に触れた海が残した、塩の結晶だ。それを無意識に爪で弾いたとき、誰かが「お腹空いた」と小さく呟いた。時刻は深夜二時。ホテルみゆきビーチの和洋室は、エアコンの冷気と、バルコニーから忍び込む湿った夜風がちょうど半分ずつ混ざり合い、心地よい温度の境界線を作っていた。私たちは、誰が言い出したのかも分からないまま、サンダルをずりながら近くのコンビニまで歩くことにした。三月の恩納村の夜は、どこかぬるい。街灯のオレンジ色の光が、夜露に濡れたアスファルトにぼんやりと滲んでいて、歩くたびに足首にまとわりつく湿った空気が、旅先特有の心許なさと高揚感を同時に運んでくる。結局、カゴいっぱいに詰め込んだのは、地元の限定スナックと、結露で冷たくなったお茶、そして誰の好みでもなさそうな、毒々しいほど鮮やかな色のゼリーだった。戻る道すがら、私はわざと段差に躓いて見せた。かっこつけて歩いていた友人の肩にぶつかり、二人で同時に「あはは」と笑い声を上げたとき、この旅の不完全さが、何よりも正しい方向に向かっている気がした。

咀嚼音に紛れ込ませた、本音と冗談の記録

「ねえ、信じられないと思うけど、今回の桜開花予想、完全に外れてなかった?」

畳の上に直接座り込み、ポテトチップスを口に放り込みながら、一人が声を上げた。パリッという乾いた音が、静まり返った部屋に心地よく響く。私たちは、和室のスペースに円を描くように集まっていた。ベッドの端に腰掛けている者と、畳に寝そべっている者。その境界線が、今の私たちの、遠慮のないけれど心地よい距離感に似ている気がした。

「いいじゃん。桜がなかった分、あのひな祭りの人形の独特な圧迫感に集中できたし」

「それ、褒めてないよね? むしろ皮肉ってるでしょ」

「だって、あの表情。なんか、私たちの旅程の崩れっぷりを全部見透かして笑ってた気がするもん」

私たちは、計画していたはずの「完璧なスケジュール」について、一人ずつ順番に、いかにそれが無意味だったかを発表し合った。誰が一番効率的に時間を無駄にしたか、という奇妙な賭け。結果的に、全員が敗北した。でも、それがいい。誰一人として、予定通りにいかなかったことに怒っている人間はいなかった。むしろ、コンビニの安っぽいゼリーを小さなスプーンで分け合いながら、「次はもっと適当に決めよう」と合意した瞬間、私たちは本当の意味で旅をしたのだと感じた。誰かが飲み物をこぼして、畳に小さな染みができた。それを慌ててティッシュで拭いながら、「これ、チェックアウトの時にどう説明する?」と囁き合ったときの、あの共犯者のような高揚感。そんな、どうでもいい記憶が、一番深く心に刻まれるものだ。私たちは、お互いの欠点を笑い飛ばすことで、自分たちの居場所をこの部屋の中に作り上げていた。

満たされた胃袋と、心地よい静寂の余白

お菓子が消え、会話の波もゆっくりと引いていった。部屋には、冷蔵庫の低いハム音と、遠くで鳴り続ける波の音だけが残っている。ホテルみゆきビーチのオーシャンビューの部屋から聞こえる海は、もはや音というよりは、肌に触れる微かな振動に近い。それは、空いた空間を埋めるための心地よいノイズだった。和洋室という不思議な構造のせいか、ベッドに体を沈めると、畳のい草の香りがかすかに鼻をくすぐる。その香りは、どこか懐かしく、同時に今の自分たちが日常から遠く離れた場所にいることを思い出させた。私たちは、もう何も話さなかった。ただ、暗い天井を見上げながら、それぞれの呼吸のテンポを合わせていた。孤独というものは、一人でいるときに感じるものではなく、誰かと一緒にいて、それでも埋まらない隙間を心地よいと感じるときに、その正体を現すのかもしれない。指先にまだ残っていた塩の粒が、不意にチクりと刺した。それは、今日という日が確かに存在したという、海からの小さな署名のようなものだ。私たちは、その小さな違和感を抱えたまま、深い眠りに落ちていった。明日になれば、また誰かが「どこに行く?」と、根拠のない提案を始めるだろう。その不確かさが、今の私たちには一番贅沢な時間のように感じられた。

波の音が、ゆっくりと私たちを深い青へと連れていく。

  • 地元のコンビニで売っている、沖縄限定のサーターアンダギー味のスナック。
  • ぬるくなったさんぴん茶と、深夜にだけ食べる甘すぎるフルーツゼリー。