シャトルバスの冷たい手すりが、指先に冬の記憶を呼び起こす。誰が一番に寝坊するかという、くだらない賭けに興じていたけれど、結局は全員がギリギリに滑り込んだ。車内に流れ込む四月の風はまだ鋭く、頬を刺すような冷たさがある。ホテルエピナール那須に降り立った瞬間、誰かが「あ、ここ最高じゃん」と小さく呟いた。その声が、春の湿った空気と森の香りに溶けていく。
ビュッフェプレートがカチャカチャと鳴る、賑やかなリズム。地元の那須野菜を口に運ぶと、アスパラガスの力強い繊維が弾け、噛むたびに春の土の濃い匂いが鼻を抜けた。コーヒーマシンのシュッという鋭い蒸気の音を聞きながら、私たちは明日の予定を立て直すふりをして、ひたすら皿に料理を盛り付けていた。食べることに没頭しすぎて、心地よい沈黙が流れる。食欲という本能の前では、友情さえも静かになるのが可笑しかった。
プレミアムEXルームの扉を開けた瞬間、誰がどこに寝るかで子供のような小競り合いが始まった。足を踏み入れると、足首まで沈み込むような厚手のカーペットが、外の世界の喧騒をすべて吸い取ってくれる。トイレまで何歩あるかをわざわざ数え、「意外と遠いね」と笑い合う。そんな意味のない会話が、この空間の贅沢な広さを一番リアルに教えてくれた。
ベビー&キッズルームのフロアを通りかかったとき、私たちは急に気恥ずかしくなった。パステルカラーの装飾に囲まれ、無理に「大人」を演じていた自分たちの滑稽さに気づかされたというか。「私たちもここに入っていいのかな」という冗談に、同時に吹き出す。結局、心の中にある子供っぽさを一番に解放していたのは、私たちだったのかもしれない。
午前六時。まだ誰も起きていない部屋で、カーテンをわずかに開けた。那須連山が、淡いブルーとグレーの境界線に溶け込んでいる。静寂には心地よい重さがあり、それが心を凪の状態にしてくれる。隣で聞こえる友人の規則正しい寝息が、今の自分にとって一番信頼できるメトロノームのように感じられた。旅の正解とは、きっとこういう名もなき瞬間にしかない。
温泉のタイルが裸足にひんやりと触れ、そこから熱い湯に身を沈めた瞬間の温度差に、ふっと肩の力が抜けた。檜の清々しい香りが白い湯気に混じり、肌にまとわりつく。お湯の中で誰とも目を合わせず、ただぼーっと天井を見上げていた。言葉にする必要がない関係というのは、きっとこういう温度感のことなのだろう。
ラウンジのバーでグラスを傾けていたとき、誰かが不器用に笑って、ワインを少しだけこぼした。白いガウンに小さな赤い染みができたけれど、誰も気にしなかった。むしろ、その不完全な汚れが、完璧すぎないこの旅のいい証拠のように思えて。冷たいグラスの結露が指先に伝わり、心地よい緊張感がゆっくりとほどけていく。
チェックアウトしてバスに乗り込むとき、肌に触れていたあの柔らかなリネンの感覚が、まだ記憶に残っている。スーツケースの重みが腕に食い込むけれど、心の中には、那須の春風が吹き抜けた後のような、不思議な軽やかさがあった。またいつか、同じメンバーで、同じようにめちゃくちゃな旅をしよう。そう心の中で静かに決めた。
帰り道の窓に、桜の花びらがひとつだけ張り付いていた。
- 朝食ビュッフェの地元野菜は絶対食べて。素材の味が濃くて、春を食べてる気分になれるから。
- 温泉の後の、あの心地よい脱力感に身を任せてみて。何も考えない時間が一番の贅沢だよ。