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窓の結露に指で書いた、名前のない線

窓の結露に指で書いた、名前のない線

「咲いてない花を待つのも、悪くないし」

「桜の開花予想、見た?」
君がスマートフォンの画面をこちらに見せてくる。指先が少しだけ冷えていて、春を待ちわびる心だけが先走っているようだった。
「うん。あと一週間くらいかな」
「早すぎたかな、今回の旅」
君が困ったように笑う。私はコートのポケットの中で、そっと君の指に自分の指を絡めた。
「いいと思うよ。咲いてない花を待つのも、悪くないし」

表面張力がほどける、静謐な光のなかで

名古屋駅を降り、名駅地下街サンロードを歩いていると、焼きたての菓子の甘い香りと、行き交う人々の急ぎ足な靴音が心地よい喧騒となって耳に届く。三月の空気はまだ鋭く、頬を撫でる風には冬の残り香があった。そんな街の速度から切り離されるように、ダイワロイネットホテル 名古屋駅前に足を踏み入れた瞬間、外の冷たさが嘘のような、上品で柔らかな温もりに包み込まれた気がした。

案内されたコーナーツインの部屋は、光の入り方がとても贅沢だった。二方向の窓から差し込む淡い光が、部屋の角で静かに溶け合い、空間全体を白く、透明な静寂で満たしている。私たちはあえて言葉を多くしなかった。ただ、荷物を置く軽い音や、厚手のカーテンを開ける時の布が擦れる乾いた音が、心地よいリズムとなって二人の間を流れていた。もしかしたら今の私たちは、触れ合えば弾けてしまう水滴のような、危うい表面張力の中にいたのかもしれない。

窓ガラスには、室内の温もりで薄い結露ができていた。私は指先で、そこに意味のない線を引いてみる。その線を君がなぞり、小さな円を描いた。その瞬間、私たちの間にあった見えない壁が、毛細管現象のようにゆっくりと、けれど確実に消えていくのを感じた。もどかしいほどに緩やかな、けれど抗いようのない接近。

ふと、自動カーテンの操作方法が分からず、二人で数秒間じっとボタンを凝視した。君が「これ、どうやるんだっけ」と小さく笑い、私もつられて笑う。そんな、日常の断片のような、どうでもいい瞬間の積み重ねこそが、旅の本当の価値なのだと思う。

ベッドに体を沈めると、リネンの清潔な香りと、適度な弾力が体を優しく受け止めた。窓の外では名古屋の街が夜の帳に包まれ、無数の光の雫のように点滅している。その光景を眺めながら、温かいお茶を一口飲む。喉を通る熱が、体の中に溜まっていた緊張をゆっくりと解いていく。完璧な計画なんてなくていい。ただ、この部屋の隅で、君の呼吸と自分の呼吸が同じ速さになっていくのを、静かに確かめていたかった。

夜の静寂が、溶け合う二人の影を優しく包み込んでいた。

  • サンロードの地下街で、ふと目に止まった小さなお菓子を一緒に選んでみて。
  • 駅までの5分間の道を、あえてゆっくりと、肩を並べて歩いてみてね。