← 戻る ホテルビスタ名古屋[錦]

靴下を脱ぎ捨てた瞬間の、あの温度

靴下を脱ぎ捨てた瞬間の、あの温度

指先が触れたカーペットの、わずかに硬い感触。チェックインして部屋に入った瞬間、次男が弾かれたようにベッドへ飛び込んだ。サータ社製ポケットコイルマットレスが、深いプールのように彼をゆっくりと飲み込んでいく。長男は「ここは僕の陣地だ」と、スーペリアダブルのベッドの端っこに、まるで見えない境界線を引くようにして座り込んだ。家族という名の小さな集団が、限られた空間に心地よく押し込まれたときの、あの密度の高い空気感。もどかしいけれど、どこか安心する温度がある。


お風呂の扉を閉めたとき、外の騒がしさがふっと遠のいた。ホテルビスタ名古屋[錦]の3点独立型水回りは、親にとっての静かな聖域だ。洗面台で子供たちが顔を洗い、トイレで誰かが格闘している間、私はただ、湯船に満たされた温かい潮流に身を任せる。肌にまとわりつく蒸気の重みが、一日中張り詰めていた肩の力をゆっくりと解いていく。誰にも邪魔されない数分間。それは、旅という共同作業の中で、自分という個体を取り戻すための、小さな儀式のような時間だった。
朝7時、廊下に漂い始めたのは、バターが焼ける香ばしい匂い。レストランのライブキッチンから聞こえてくる、ジューという小気味よい音。それは、眠い目をこすりながら集まった家族の意識を、ゆっくりと覚醒させる水面の揺らぎに似ている。次男が「卵が踊ってる!」と指差した先で、シェフが軽やかにフライパンを振っていた。完璧なスケジュールなんて、最初からなかったのかもしれない。ただ、この音に導かれてテーブルにつくことが、今の私たちにとっての正解だった。
名古屋の朝ごはん。地元産の卵料理に、少しだけ濃いめの味噌汁。スプーンですくったスープの熱さが、胃のあたりからじわりと広がっていく。長男は「このお味噌、お家のと違う」と真剣な顔で分析していた。味覚というものは、記憶と密接に結びついている。後で思い出すのは、豪華な料理の名前ではなく、子供が口の周りを味噌で汚しながら笑っていた、あの不格好な瞬間だろう。心地よい満腹感は、家族の会話を自然と柔らかくしていく。
午前6時半の光は、カーテンの隙間から鋭い線となって差し込んでいた。部屋の中はまだ青い静寂に包まれているけれど、その光の線に舞う小さな埃が、ゆっくりと円を描いて踊っている。昨夜、激しく飛び跳ねていたベッドのしわが、そのままの形で残っていた。その乱雑さが、なんだか愛おしい。整えられた日常よりも、旅先でのこの「乱れ」こそが、私たちが一緒に時間を過ごしたという、確かな証拠な気がする。
バスソルトバーで選んだ、小さな袋に入った塩。指先で触れると、ざらりとした結晶の感触が伝わってくる。次男が「これ、お砂糖?」と聞いてきて、そのままおもちゃの車を塩の中に突っ込もうとしたとき、私は思わず笑った。大人が「癒やし」と呼ぶものは、子供にとってはただの「面白い砂」に過ぎない。でも、その視点のズレこそが、旅の醍醐味なのだと思う。お湯に溶け出していく塩の粒子が、心の中の凝り固まった何かを、静かに溶かしてくれた。
ホテルを出て、久屋大通公園まで歩く。4月の風はまだ少し冷たいけれど、頬を撫でる感覚はどこか軽やかだ。視界に飛び込んでくる桜の花びらが、空気の流れに乗って、まるで意思を持っているかのように舞っている。名古屋テレビ塔を見上げて、「あそこまで競争だ!」と駆け出す子供たちの背中を追いかける。誰一人として同じ方向を見ていないけれど、不思議と心地よい一体感があった。私たちは、バラバラのままで、一つの春を共有していた。

桜の花びらが、誰の肩に止まったか、確かめ合う時間。

  • 子供と一緒に、バスソルトバーで「今日の香り」を相談して選ぶ時間を作ってみて。
  • 久屋大通公園のベンチで、あえて何もせず、ただ風に舞う花びらを数えてみるのがおすすめ。