今回の旅で誰が一番に忘れ物をするか賭けたけれど、結果は全員だった。充電器を忘れた三人が、ホテルのロビーで誰が先にコンセントを確保するか静かに火花を散らしていた。ホテルモントレ長崎の、中世ポルトガルの修道院を模した重厚な空間に、私たちの汗ばんだTシャツと絶望的な顔が絶妙に不釣り合いで、その滑稽さに自分たちで吹き出した。
朝食ブッフェでは、地元のお皿を盛り付けながら、誰が一番「長崎っぽい」プレートを作るか競い合った。焼きたてのパンの香ばしい匂いと、コーヒーから立ち上る白い湯気が視界を心地よくぼやけさせる。口の中でじわりと広がる出汁の優しい味に、昨夜の深すぎる話し合いで疲れ切った胃袋が、静かに緩んでいくのがわかった。
「大浦天主堂まで徒歩二十分」という表記を信じて歩き出したけれど、実際はもっと遠く感じた。照りつける日差しに、誰かが「私、今、ふくらはぎが悲鳴を上げてる」と弱々しく呟き、全員で足を止めて、ただ道端の石ころを眺めて休憩した。効率的に観光地を回るなんて、そもそも私たちの作戦にないことだったし。
桜の開花予想を巡って、一時間くらい言い合いをした。ある者は「明日には咲く」と言い、ある者は「まだ蕾のままだ」と主張する。その予測と現実の間の、もどかしいタイムラグ。その空白の時間があったからこそ、ふと見つけた一本の枝に小さな花がついていたとき、私たちは子供のように大げさに歓声を上げられた。
部屋の窓から見える港の青さが、夕暮れとともに深い紺色に溶けていく。誰一人喋らなくなった数分間。寂しさではなく、心地よい空白が部屋を満たしていた。そこに誰かが「あ、お腹空いた」と不意に口を開いた瞬間、張り詰めていた静寂が心地よく弾け、いつもの賑やかな時間に戻った。
ホテルモントレ長崎の廊下を歩くとき、足裏に伝わる絨毯の厚みが心地いい。深夜にこっそり集まって、明日どこへ行くか決めないことを決めた。レトロで優雅な内装のせいか、自分たちが別の時代の、もっと奔放で適当な旅人になったような錯覚に陥る。琥珀色の照明が、私たちの密談を優しく包んでいた。
路地裏で偶然見つけた雛人形の飾りに、みんなで足を止めた。ガイドブックには載っていない、誰かの家の軒先にひっそりと置かれた小さな世界。予定していたルートを外れたことで出会えたその景色に、私たちは「これが正解だったね」と、根拠のない確信を共有した。迷い込んだ路地の湿った空気さえ、今は愛おしい。
計画通りにいかないことこそが、この旅のメインディッシュだったのかもしれない。開花しなかった桜も、歩き疲れた道も、全部ひっくるめて、私たちの共通言語になる。完璧な旅なんてつまらない。少しだけリズムがズレていたからこそ、心地よい調和が生まれた気がする。
靴の底に、長崎の石畳の記憶が薄く残っている。
- 朝食ブッフェの地元料理を、欲張りに全部盛り付けてみて
- ホテルから大浦天主堂まで、あえて迷子になりながら歩くのが正解