← 戻る 鬼怒川パークホテルズ

畳の縁に躓いて、みんなで笑った午後

9月の風は、しっとりと湿り気を帯びて、肌にまとわりつくような冷たさだった。鬼怒川温泉駅からホテルまでわずか5分。誰が一番に迷うかというくだらない賭けをしたが、結局は全員で同じ方向を間違えた。青白い画面の地図を凝視し、「絶対こっちだって」と譲らない声が、静まり返った街に小さく反響する。ようやく鬼怒川パークホテルズの重厚な入り口が見えたとき、誰が正解だったかなど、もうどうでもよくなっていた。



朝食に並んだ湯葉の、あの白く透き通った質感。舌の上でつるりと滑り、喉を通る瞬間に大豆の淡い甘みがふわりと広がる。それはまるで、冷たいシルクのリボンを飲み込んでいるような心地よさだった。誰が一番多く食べられるかという、子供のような競争が始まったが、最後にはみんなで「もう無理」と同時に呟いた。湯気の向こう側で、心地よい沈黙がゆっくりと流れていった。


「木の館」の扉を開けた瞬間、一人が大人の余裕を演出し、ゆっくりと畳の上に腰を下ろそうとした。けれど、運悪く畳の縁に足を引っ掛け、派手な音を立てて転がった。その瞬間、静寂だった部屋に爆笑の波が押し寄せる。笑い声は高い天井に跳ね返り、心地よい残響となって空間を満たした。かっこつけなくていいんだよ、という無言の肯定が、そこにはあった。


地球に優しい旅をしようと意気込んで、二酸化炭素排出ゼロのプランを選んだはずだった。なのに実際には、檜風呂の香りに酔いしれて温泉に入りすぎ、脱衣所にはタオルが山のように積み上がっていた。「地球に優しくする前に、自分の肌に優しくしすぎじゃない?」という鋭いツッコミに、私たちは顔を見合わせて笑った。正論よりも、今この瞬間のぬくもりこそが、私たちには何より重要だった。


深夜、そっと窓を開けると、鬼怒川のせせらぎが低い周波数で部屋に流れ込んできた。それは耳で聞くというより、肌で感じる微かな振動に近い。暗闇の中で、誰がいつ寝落ちするかを静かに観察していたが、気づけば全員が深い眠りに落ちていた。孤独というものは、信頼できる誰かと一緒にいるときにだけ、ふっと形を変えて絶対的な安心感になるのかもしれない。


裸足で歩いたフローリングの、ひんやりとした温度が足裏に心地よい。ベッドから窓まで、ゆっくり数えて十歩。そこには、深い谷底へと続く濃緑の景色が広がっていた。過剰な装飾はないが、指先に伝わる木の温もりが、旅で張り詰めていた神経をゆっくりと解きほぐしていく。呼吸が深く、ゆっくりと落ちていくのが分かった。


ふらりと歩き出した道端で、銀色のススキが風に揺れているのを見つけた。九月の柔らかな光を反射して、世界が少しだけ白く塗り替えられたような錯覚に陥る。誰かが「これ、映画のワンシーンみたいじゃない?」と言い、私たちはわざとらしくポーズを決めて写真を撮った。後で見返すと、みんなひどい顔をしていたけれど、それが一番「私たち」らしい、飾らない記録だった。


旅の終わり、チェックアウトしてロビーを出るとき、ふと振り返った。そこには、私たちが残していった笑い声の残響が、まだ静かに漂っているような気がした。何かを得るための旅ではなく、ただ一緒に時間を消費しただけ。でも、その空っぽの時間が、今の私たちには一番必要な質感だったのかもしれない。

最後の一歩を踏み出したとき、誰かが私の肩を軽く叩いた。

  • 鬼怒川パークホテルズに泊まるなら、「木の館」の窓辺で、何もしない時間を15分だけ作ってみて。
  • 近くのススキの群生地を散歩して、あえて地図を捨てて迷子になるのがおすすめ。