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午前2時のプラスチックカップ、氷の音だけが響く夜

午前2時のプラスチックカップ、氷の音だけが響く夜

空腹という名の、心地よい敗北

14階のバルコニーから忍び込んだ夜風は、10月の鬼怒川特有の湿り気を帯びていて、指先をわずかに痺れさせた。もともと私たちは「今回は大人の旅をしよう」と、少し背伸びした約束を交わしていたはずだった。けれど、誰かがふと漏らした「お腹空いた」という、あまりに人間味あふれる一言で、その矜持はあっけなく崩れ去った。結局、誰が一番に空腹を認めるかという、子供じみた賭けに負けた一人が、コンビニまで買い出しに行く羽目になった。ホテルサンシャイン鬼怒川から駅方面へ歩く道すがら、街灯に照らされた夜道には、昼間の喧騒が嘘のように静まり返った川のせせらぎだけが、低い唸りのように聴こえていた。冷たい空気が肺の奥まで入り込み、意識が冴え渡る。戻ってきた友人が抱えていたビニール袋の、あのカサカサという乾いた音が、静まり返った廊下に不自然なほど大きく響いていたのが、今でも鮮明に記憶に残っている。私たちはそれを合図に、部屋にある畳の空間へと吸い寄せられるように集まった。

琥珀色の光と、不完全な旅の反省会

「ねえ、信じられないと思うけど、私たち今日、紅葉の絶景スポットに辿り着くまでに三回は同じ道を回ってたよね」

誰かがポテトチップスの袋を乱暴に開けながら、呆れたように笑った。私たちは、和洋室の畳の上に直接広げたコンビニのお惣菜と、地元の銘菓を囲んでいた。もともとは完璧なルートマップを用意していたはずだったのに、結果的に私たちは道に迷い、予定になかった小さな神社で迷子になり、結局一番見たかった場所には日没後に到着した。けれど、そんな失敗こそがこの旅の正解だったという気がしてならない。

「賭けてもいいけど、もし計画通りに動いてたら、あんな変な看板を見つけることはなかったし、あの店のおばちゃんの面白い話も聞けなかったでしょ」

そう言って笑い合う私たちの中心に、氷がたっぷり入ったサイダーのグラスがあった。ベッドサイドのランプから漏れたオレンジ色の光が、そのグラスの縁で屈折し、畳の上に小さな虹色の断片を投げかけていた。それはまるで、バラバラな個性が集まって一つのグループを成している私たちの関係みたいに、不揃いで、けれど鮮やかな色彩を放っていた。光が分光される瞬間の、あの儚い輝き。誇張じゃなく、その瞬間だけは、世界で一番贅沢な食事をしている気分だった。誰かが地元で買った焼き菓子を口に運び、「これ、意外と甘くないな」と呟く。そんな、どうでもいい会話が心地よくて、私たちは夜が明けるまで喋り続けた。

凪いだ時間と、い草の残り香

食後、賑やかだった会話がゆっくりと凪いでいった。最後の一口のポテトチップスが消え、プラスチックカップの中で氷がカランと音を立ててぶつかる。その音が、部屋の静寂をより深く、濃いものに変えていく。私たちは、スタッフの方が丁寧に敷いてくれた布団の中に潜り込み、天井を見上げていた。最上階という高さは、地上にあるあらゆるノイズを遮断してくれる。耳に届くのは、遠くで流れる鬼怒川の低い唸りのような音と、隣で眠りに落ちようとしている友人の規則正しい呼吸音だけ。専用の露天風呂で温まった肌に、ひんやりとした夜気が心地よく馴染む。畳のい草の香りが、ゆっくりと意識の底に沈んでいく。一人で過ごす静寂は時に孤独の形をしているけれど、誰かと共有する静寂は、安心という名の重みを持っている。明日になればまた、計画通りにいかない旅の続きが始まる。けれど、今の私たちはただ、この心地よい空白に身を任せていればいい。もしかすると、旅の本当の目的は、絶景を見ることではなく、こうして誰かと一緒に「何もしない時間」を贅沢に消費することだったのかもしれない。

窓の外では、月光が静かに谷底へと降りていた。

  • 鬼怒川温泉駅近くのコンビニで買える、栃木県産の梨を使ったスイーツ。夜の畳の上で、冷たいままで分かち合うのが正解。
  • 地元の酒屋で見つけた、小ぶりの地酒と塩辛。サイダーの後に、少しだけ大人な気分で啜るのがおすすめ。