← 戻る 花水庭おおや

午前三時の障子の音

指先に触れる空気の温度が、不意にストンと下がった。誰が一番に宿を見つけるか賭けたけれど、結果的に全員で迷路に迷い込んだような気分になった。冷たい風が頬を刺し、吐き出す息が白く濁る。笑いながら歩く靴音が、静まり返った河口湖の町に心地よく響いていた。



個室の食事処に漂う、秋の山菜の芳醇な香り。口の中でほどける根菜の滋味深い甘みと、黄金色の出汁の温度が、冷えた身体の芯までゆっくりと溶かしていく。湯気の向こうで友人たちの顔が柔らかくぼやけ、箸を止めて、ただその味の余韻を静かに数えていた。


「最高にエモいショットを撮った」と、自信満々に提示されたスマートフォンの画面。そこには、激しくブレた赤い色の塊だけが写っていた。きっと紅葉を狙ったのだろうが、もはや抽象画の域に達している。「これが正解だよ」と笑い合う私たちの声が、夜の静寂に小さく跳ねた。


こっそり持ち込んだ、場違いなハロウィンの飾り。それをさらりとした浴衣の上に身につけて、廊下の角で誰かが笑いを堪える、くぐもった音が聞こえる。誰にも見つからないように、忍び足で歩く。私たちだけの、共犯関係に近い密やかな時間が、心地よい緊張感となって肌を撫でた。


ふと訪れた、深い静寂。バルコニーに立つと、肺の奥まで凍てつくような冷たい空気が満たされる。遠くに見える富士山の輪郭が、濃紺の夜の闇に溶け込みそうで、でも確かにそこに在るという圧倒的な存在感。世界に私たちだけが取り残されたような、心地よい孤独に包まれた。


花水庭おおやの畳が、裸足にひんやりと心地いい。檜の露天風呂付客室の、木の香りがふわりと鼻をくすぐる。深夜、ベッドから窓まで歩く数歩の距離。その間に、湖から流れてくる湿った風の匂いが、静かに部屋に満ちていた。


遠くから聞こえてきた秋祭りの太鼓の音。心拍数と同期するような低い振動が、足裏からじわりと伝わってくる。予定になかった音に誘われて、私たちは吸い寄せられるように外へ飛び出した。夜風に吹かれながら、見えない祭りの灯りを追いかける高揚感が、胸の内で小さく弾けた。


湯上がりの肌にまとわりつく、かすかな温泉の匂い。友人たちの賑やかな声が、今は遠い波のごとく心地よく耳を通り過ぎていく。完璧ではない、少しだけ不器用な旅だったけれど、足りないものがあるからこそ、この時間が完成している気がした。

朝の光が、静まり返った湖面に一本の金色の線を引いていた。

  • 湖側の部屋で、あえて何もせずに富士山の稜線を眺める贅沢な時間を。
  • 貸切風呂で、友人たちととりとめもない話に花を咲かせてみて。