迷い込むことさえ心地よい、旅の始まり
駅のホームには、自販機が発する低く唸るような機械音が絶えず響き渡っていた。指先に触れる缶コーヒーのアルミの冷たさが、心地よい刺激となって、旅の始まりへの期待で少しだけ早まった心拍数を心地よく鎮めてくれる。私たちはそこで、ある種の不毛な賭けをしていた。「このメンバーで、誰が一番最初に道を間違えるか」という、旅の始まりにふさわしくない、けれど最高にくだらない賭けだ。地図アプリを握りしめたリーダー格の彼が、自信満々に北を指し示したけれど、歩き出してわずか三分後、私たちは見たこともないほど細い、静まり返った路地に迷い込んでいた。「やっぱりね」と誰かが小さく笑い、「いや、ここはショートカットのつもりだったんだ」と彼が苦しい言い訳を始める。そのやり取りが、まるで真っ白な水に落とした一滴の墨が、ゆっくりと、けれど確実に広がっていくように、私たちの間にあった心地よい緊張をほどいていった。一人ひとりの個性が、まだ独立した点として存在していた、そんな旅の始まりの瞬間だった。
秋風に誘われて、予定外の路地裏へ
足元では、乾いた音を立てるススキの穂が、歩くたびにカサカサとふくらはぎに触れた。九月の風は、もう完全に秋の温度を帯びていて、深く息を吸い込むたびに、肺の奥まで冷たく澄んだ空気が入り込んでくる。富士宮の街を歩いていると、あちこちで秋祭りの準備が進んでいるのが見えた。夕暮れの深い藍色の空に、点々と灯り始めた提灯の赤い色が溶け込んでいく。私たちは、本来行くはずだった観光スポットを完全に無視して、ふと見つけた小さな駄菓子屋の前で足を止めた。店先に置かれた色褪せた看板や、埃をかぶった古びたおもちゃたち。そんな、誰の記憶にも残らないような、けれどどこか懐かしい景色に、私たちはどうしてあんなに強く惹かれたのだろう。「これ、何味だと思う?」と、正体不明の飴を口に放り込みながら、私たちは「この寄り道こそが今回のハイライトだ」なんて、根拠のない結論を出して笑い合った。墨がさらに拡散して、輪郭がぼやけていくように、誰がリーダーで誰がフォロワーかという境界線が、心地よく消えていく感覚があった。もはや誰も地図なんて見ていなかったし、見る必要もなかったのだ。
静寂と喧騒の狭間で、富士の懐に抱かれる
カードキーがカチリと乾いた音を立て、ドアが開いた瞬間に、ホテルの廊下に漂う静謐な空気が部屋の中に流れ込んできた。ホテルマイステイズ富士山 展望温泉の部屋に足を踏み入れたとき、まず目に飛び込んできたのは、大きな窓の外に広がる、吸い込まれるような夜の気配だった。けれど、感傷に浸る間もなく、私たちは誰がどのベッドを使うかという、まるで野生の生存競争のような奪い合いを始めた。「ここは俺が使う!」「いや、端っこがいい!」という欲望と、あえて狭いところで雑魚寝しようという冗談が入り混じる。裸足で踏んだカーペットの、少しだけ硬いけれど安心感のある感触。その上に、脱ぎ捨てられた靴やバッグが散らばっていく。誰かが「とりあえず風呂だ!」と叫び、私たちは吸い寄せられるように展望大浴場へと駆け出した。展望露天風呂のお湯に浸かった瞬間、肌にまとわりつく濃厚な熱さと、視界に飛び込んでくる富士山の荘厳なシルエット。その強烈な対比に、心身の力がふっと抜けていった。お互いの顔を見合わせて、「まあ、迷った甲斐があったな」と誰かが呟く。そのとき、私たちは完全にひとつの色に溶け合っていた。個々の点ではなく、ひとつの大きな滲みとなって、この街の夜に馴染んでいた。結局、誰が一番に迷ったかという賭けの結果は、もうどうでもよくなっていた。
窓の外では、淡い月だけが静かに私たちの夜を見守っていた。
- 展望露天風呂で、言葉を捨てて富士山の稜線に心を委ねる時間を過ごしてほしい。
- 富士宮の街を歩くときは、あえて地図を閉じ、秋風が運ぶススキの香りに身を任せてみて。