← 戻る ゆらく草庵

銀色の草が、私たちより先に折れていた

指先に触れる秋の空気が、しっとりと湿っていた。誰が一番に「疲れた」と口にするか、千円を賭けたけれど、結局は豊平川のせせらぎに心を奪われ、賭けのことさえ忘れていた。あなたなんて、川の音に聞き惚れて足元を疎かにし、危うく冷たい水に浸かりそうになっていたし。そういう抜けたところ、本当に救いようがないよね。



鼻腔をくすぐる、焼きたてのとうもろこしの香ばしい香り。秋祭りの屋台で買ったそれは、指先が熱くなるほどで、口に運べば火傷しそうなほどの熱量だった。でも、その熱さが心地よくて、私たちは言葉を失い、ただひたすら頬張った。甘さと香ばしさが口いっぱいに弾ける瞬間、世界がほんの少しだけ、柔らかく優しい色に染まった気がした。


「ねえ、ここ、エモくない?」と、真剣な顔でカメラを構える君に、私はあえて冷ややかな声を出す。構図にこだわりすぎて、背景に派手な看板がど真ん中に写り込んでいることを教えた時の、君の絶望に満ちた顔。あれは最高だった。結局、一番心に残ったのは、誰が撮ったかも分からない、風に吹かれて笑い転げている誰かの、ひどくブレた写真だった。


浴衣の帯がうまく結べず、三人でもつれ合いながら格闘したあの泥沼の三十分。誰が誰の背中に触れているのかも分からなくなり、最後には諦めて適当に結んだ。でも、その「適当さ」こそが、私たちの旅の正解だったのかもしれない。完璧に整った姿よりも、少しだけ崩れた格好の方が、ずっと深く呼吸ができた。


足元に広がるススキの群生。最初は青々としていたはずなのに、いつの間にか銀色の光を纏っていた。根っこが地面を強く掴みながらも、穂先は秋風に身を任せて、しなやかに、絶望的なほど軽やかに揺れている。その姿を見ていると、無理に自分を曲げなくても、ただ流されるままにいることでしか出会えない景色があることに気づかされる。


定山渓 ゆらく草庵の扉を開けた瞬間、ひばの天然木の清々しい香りが、肺の奥まで満たした。天然温泉客室風呂付き和の客室に身を沈めると、肌にまとわりつくお湯の温度が、心まで解きほぐしていく。外のひんやりした空気と、内側の熱い湯。その境界線で、心の中の騒がしさが、ゆっくりと凪いでいく。裸足で踏んだタイルの冷たさが、心地よく意識を覚醒させてくれた。


月見の夜、予定していた場所とは正反対の方向に迷い込んだ。地図を見るのをやめて、ただ月が一番綺麗に見える方向へ、直感だけを頼りに歩いた。結果的に行き止まりの道だったけれど、そこで見上げた月は、どの展望台から見るよりも大きく、静かに私たちを照らしていた。迷うことが、一番の近道になることもある。


帰りの車の中、心地よい疲労感に包まれ、誰も喋らなくなった。窓の外を流れる夜の景色が、ゆっくりと溶けていく。何かを解決しに来たわけじゃないし、何かを得たわけでもない。ただ、一緒に笑って、一緒に迷って、一緒に湯に浸かった。それだけで、十分すぎるほど贅沢な時間だったという気がする。

銀色の穂先が、夜風にさらさらと鳴っていた。

  • 部屋のお風呂で、時間を忘れてひばの香りに溺れてみて。
  • 予定を全部捨てて、定山渓の路地裏をあてもなく歩くのが正解。