10月の冷たい風が、鋭いナイフのように首筋をなでた。JR伊東駅から歩く道すがら、「誰が一番に道に迷うか」という馬鹿げた賭けをしていたけれど、結局は全員で同じ方向の、けれど全く違う道を歩いていた。地図を手にしながら迷子になるという、僕らだけの奇妙な特技。K's House 伊東温泉の重厚な木の扉を開けた瞬間、ひんやりとした、けれどどこか懐かしい空気が肺の奥まで深く染み渡った。
近くの店で買った、揚げたてのコロッケ。茶色い衣がパチパチと音を立て、指先にじわりと熱い油が伝わる。口の中で弾ける強烈な塩気と、ホクホクとしたジャガイモの甘み。それを分け合いながら、「誰が一番多く食べたか」で子供のように言い合い、口の周りについた油を指で拭う。そんな単純なことが、この旅では何よりの贅沢に感じられた。
和室Aに布団を広げる時間は、さながら戦場だった。誰かが持ち込んだ、旅に不必要なほど大量の荷物を見て、「なんでそんなに物多いの?」という容赦ないいじりが飛ぶ。けれど本人は「これはサバイバルキットだから」と、至って真面目な顔で言い返す。畳のい草の青い香りが、そんな騒がしさを静かに、けれど確実に吸収していった。
100%自然掛け流しの温泉から上がった後の、あの肌がピリピリと震える感覚。冷たい外気と熱い湯の激しい温度差に、思考が真っ白に塗りつぶされる。誰かが「あいつ、湯船で寝かけてたぞ」と笑い、僕らはその情景を共有して、また腹を抱えて笑い合う。不便ささえも、後で肴にするための最高の素材に過ぎない。
遠くで川のせせらぎが、低く心地よいBGMのように流れている。読みかけの本を開くけれど、文字よりも窓の外で、琥珀色に染まりゆく葉っぱの方に意識が吸い寄せられてしまう。静寂が、心地よい重さで肩に降りてきた。一人でいる心地よさと、隣に誰かがいる安心感。その絶妙なバランスに、心がほどけていく。
100年の時を刻んできた廊下。裸足で歩くと、木の節が足裏に小さく、けれど確かに引っかかる。深夜3時、トイレまで歩くわずか数歩の距離が、不思議と果てしなく遠く感じられた。古い家がゆっくりと深い呼吸をしているような、かすかな軋み。その音が、僕らを深い眠りの底へと誘っていく。
町の秋祭りの喧騒に、ふと思い立って混じってみた。色鮮やかな衣装が揺れ、どこか懐かしい笛の音が空気に溶けている。そこにハロウィンの飾りが混ざり合った、奇妙で愛おしい風景。予定になかった寄り道が、この旅で一番の正解だったのかもしれない。僕らはただ、その場のリズムに身を任せて、ゆっくりと歩いた。
僕たちは、水と油のように違うリズムで生きている。けれど、K's House 伊東温泉で過ごすうちに、ゆっくりと乳化していく感覚があった。混ざり合わないまま、けれど一つの心地よい層になって、そこには確かな温度が宿っていた。欠けている部分が、お互いの隙間をちょうどよく埋めてくれる。そんな静かな充足感。
玄関に乱雑に並んだ、誰かが脱ぎ捨てた靴たち。
- 伊東の地元の商店街で、あえて地図を持たずに目的なく歩き回ってみて。
- 温泉上がりに、キンキンに冷えた牛乳を飲みながら夜風に当たること。