足首まで深く沈み込む、厚いカーペットの感触。次男が忽然「ここ、雲の上みたい!」と叫んで、そのまま大の字に寝転がった。親の私は、彼が踏みつけているのが高級な絨毯であることよりも、その柔らかさに彼が完全に降伏したことの方が重要に思えた。煙波大飯店花蓮館の廊下を、バスローブをマントのように羽織らせた長女が、勇ましい足取りで駆け抜けていく。その足音が絨毯に吸い込まれて、不思議と静かなリズムになる。私たちは、予定通りに動くことを諦め、ただこの柔らかい空間に身を任せることに決めたのかもしれない。
外の風は冷たく、肌を刺すような鋭さがあったけれど、SPAの湯船に体を沈めた瞬間、境界線が消えた。41度か、あるいは38度か。そのわずかな温度の差に、大人は敏感に反応してしまう。けれど、指先からゆっくりと体温が戻ってくる感覚は、冬の土の中でじっと春を待つ根が、水分を吸い上げていくプロセスに似ている気がする。客室の窓辺にある浴槽から、遠くの景色を眺めながら心まで解きほぐされる。濡れた髪から滴る水滴がタイルの冷たさに触れるとき、ようやく自分が「今、ここにいる」という実感が、心地よい重みを持って降りてきた。
窓の外では、太平洋から吹き付ける北東季風が、時折、建物を小さく揺らしている。けれど、部屋のドアを閉めた瞬間に訪れるのは、完全な遮断ではない、心地よい密閉感。ロビーで聞こえていた子供たちの高い笑い声が、遠くの波音のように低く、心地よく響いている。静寂とは、音が無いことではなく、心地よい音が適切な距離にある状態のことだ。そう気づかせてくれるのは、このホテルの、どこか懐かしい静けさだったのかもしれない。
朝食のテーブルに並んだ、地元の食材をふんだんに使った料理たち。湯気が立ち上るお粥を口に運ぶと、優しい甘みと、花蓮の土の匂いがかすかに混じっているように感じた。次男が「これ、お魚の味がする!」と指差したのは、地元の野菜だったけれど、私たちはそれを否定せず、一緒にその不思議な味を探った。正解を出すことよりも、同じ味に驚くことの方が、ずっと贅沢な時間だ。温かい飲み物が喉を通るたび、体の中の凍えていた何かが、ゆっくりと溶け出していくのがわかった。
午前6時の部屋は、深い青色に染まっていた。カーテンの隙間から差し込む光が、床に細い線を描いている。その光の粒子が、ゆっくりと部屋の中を移動していく様子を眺めていると、時間というものが、実はとてもゆっくりと流れていることに気づく。子供たちがまだ夢の中にいる、この数分間だけが、私にとっての本当の旅だったのかもしれない。光と影の境界線が曖昧になる時間、私たちはただ、そこに存在することだけを許されていた。
「すぅ」とした、不思議な質感の掛け布団。レビューに書いてあったその心地よさの意味が、肌に触れた瞬間に理解できた。重すぎず、けれどしっかりと体を包み込むその感覚は、大きな抱擁を受けているみたいだ。長女が布団の端をぎゅっと握りしめて、私の腕に潜り込んでくる。その小さな手の温度が、布団の柔らかさを通して伝わってくる。この布一枚が、外の世界の寒さと、私たちの内側の温もりを分かつ、唯一の境界線になっていた。
最後には、みんなが同じリズムで呼吸を始める。騒がしかった一日の終わり、部屋の中には、心地よい疲労感と、満ち足りた静寂が満ちていた。誰一人として言葉を発していないけれど、お互いの存在が、空気の密度として伝わってくる。それは、バラバラだったパズルのピースが、ようやく正しい場所に収まった瞬間の、あの静かな納得感に似ている。私たちは、煙波大飯店花蓮館という場所で、ただ一緒にいるという贅沢を、静かに分かち合っていた。
窓の外では、まだ太平洋の風が吹いているけれど、もう寒くはない。
- 子供と一緒に、ロビーの広い空間を「探検」して、一番柔らかい場所を探してみてください。
- 朝食では、ガイドブックにない地元の味を、お子さんと一緒に「どんな味がするか」話し合いながら楽しんでください。