9月の花蓮駅。湿った空気が肌にまとわりつき、Tシャツがじっとりと重くなる。誰が一番に遅刻するかというくだらない賭けをしていたが、結局は電車が遅れた。プラットホームに響くアナウンスと、呆れたように顔を見合わせて笑う仲間たち。それが、私たちの不器用な旅の幕開けだった。
中山路にある「香扁食」の店先。白い器の中で、紅油の鮮やかな赤がゆらゆらと揺れている。熱いスープを一口啜ると、喉の奥からじわりと熱が広がり、旅の緊張がほどけていく。隣で誰かが口いっぱいに頬張る音と、立ち上るニンニクの香ばしい匂いが、心地よいリズムのように重なっていた。
麗格休閒飯店の部屋に足を踏み入れた瞬間、「ここ、ヨーロッパの真似してる?」と誰かが呟いた。私たちはその絶妙なミスマッチを全力で笑い飛ばした。ロビーのカフェやカラオケルームがあるという賑やかさとは裏腹に、部屋に漂うどこか懐かしい空気感。正解のない空間に身を置くとき、人は一番素直になれるのかもしれない。
WiFiが繋がりにくいことに気づいたとき、私たちは同時にスマホを空に掲げた。まるで神に祈る儀式のような光景だ。デジタルデトックスなんて高尚な理由ではない。ただ、この不便さを共有して笑い合いたいだけ。画面の青白い光が、私たちの顔をぼんやりと照らしていた。そんなくだらない時間が、何よりの贅沢に感じられた。
深夜三時。窓の外に広がる空は、こぼれたミルクに白い砂糖を散らしたような星空だった。誰一人喋らないけれど、隣に誰かがいるという物理的な重みが、心地よい温度として伝わってくる。静寂には、ベルベットのような質感がある。それは、分かち合える孤独のような、静かな連帯感だった。
裸足で踏んだタイルの冷たさが、足裏から脳まで突き抜ける。ベッドに体を沈めると、シーツのわずかなざらつきが指先に触れた。この適度な「使い込まれた感」が、見知らぬ街にいる不安を、静かに溶かしていく。エアコンの低い唸り声が、子守唄のように部屋を包み込み、意識をゆっくりと深い場所へ運んでいった。
スタッフの温さんがかけてくれた、さりげない一言。マニュアルにはない、ただの人間としての親切。その言葉の温度が、ホテルの設備よりもずっと贅沢に感じられた。人は、完璧に整えられたサービスよりも、不完全で人間味のある優しさにこそ、深く惹かれるものだ。
完璧な旅なんて、きっと退屈でしかない。少しの不便さと、予想外の出会い。それらがパズルのピースのように重なって、初めて「思い出」という形になる。私たちは、麗格休閒飯店という不完全な空間で、自分たちの居場所を見つけた気がする。欠けている部分があるからこそ、そこに誰かが入り込む隙間が生まれる。
窓を開けると、秋の風が白いカーテンをゆっくりと揺らしていた。
- 中山路の扁食は絶対食べて。紅油の刺激がちょうどいいから。
- 夜の星空を眺めてみて。花蓮の空は、驚くほど透明だから。