真夜中の空腹に、誰が先に屈したか
11月の花蓮は、肺の奥まで洗われるような、凛とした冷たい空気に満ちていた。花蓮假期飯店のロビーを出た瞬間、私たちは「誰が最初に空腹を認めるか」という、大人の遊びにしてはあまりにくだらない賭けを始めた。夜風が指先を鋭く突き刺し、街灯の淡いオレンジ色が濡れた路面にぼんやりと滲んでいる。結局、旅の始まりに「意識高い大人の旅をしたい」と豪語していた友人が、コンビニの眩い白い光に吸い寄せられた瞬間に敗北を認めた。その情けない様子さえも、この街のゆるいリズムに溶け込んでいる気がして、私たちは小さく笑い合った。
私たちは、地元の人たちが日常的に愛しているであろう、真っ赤な紅油抄手と、甘い香りが漂う点心、そして正体不明のローカルなお菓子をいくつか袋に詰め込んだ。プラスチックの袋が擦れるカサカサという乾いた音が、静まり返った夜の街に不自然なほど大きく響き渡る。それがなんだか可笑しくて、私たちは肩を寄せ合いながら、手にした袋の重みだけを信じてホテルへと歩いた。
刺激的な味と、心地よい言い争い
「ねえ、本当にこの激辛のやつ、完食できると思って買ったの?」
ベッドの上に広げられたコンビニ袋から、湯気の立つ紅油抄手が取り出された瞬間、刺激的な唐辛子の香りが部屋いっぱいに広がった。私たちは靴を脱ぎ捨て、花蓮假期飯店の広々としたベッドに、文字通りダイブした。清潔なリネンの感触と、大地色系の落ち着いたインテリアが、外の冷気で強張った体をゆっくりと解きほぐしていく。
「いいじゃん、冒険だよ。花蓮まで来て、安全な味だけ選んでどうするの」
そう言いながら、友人が思い切って大きな抄手を口に運んだ。けれど、次の瞬間、顔がみるみるうちに赤くなり、喉を抑えて激しく咳き込み始めた。その情けない姿に、私たちは同時に吹き出した。笑いすぎてお腹が痛くなり、同時に口の中の紅油が熱くて、誰一人として「上品に」食べる余裕なんてなかった。けれど、その混沌とした時間こそが、旅のどんな観光スポットよりも「私たちらしい」と感じた。
「っていうか、さっきの紅葉の森で道に迷ったとき、地図を逆さまに持ってたのは誰だっけ?」
「それは、風が強くて方向感覚がバグっただけ!そういうところ、本当に根に持つよね」
そんな、結論の出ない言い争いが、紅油の刺激と一緒に喉を通っていく。普段なら気にするかもしれない小さな不満や、気まずい沈黙さえも、この部屋の柔らかな照明の下では、心地よいBGMみたいに聞こえた。私たちは、互いの失敗を肴にして、深夜の空腹を満たしていく。正解の旅なんてどこにもなくて、ただこうして、くだらないことで笑い合える時間がある。それだけで十分だという気がした。
満たされた胃袋と、深い静寂
最後の一つまで食べ尽くし、空になった容器がベッドの脇に並んだ。激しい笑い合いのあとにやってきた静寂は、重くなくて、むしろ凪いだ太平洋のように穏やかで、心地よい温度を持っていた。部屋のエアコンが低く唸る音が、一定のリズムで空間を埋めている。私たちは、もう言葉を交わさず、ただそれぞれにベッドに身を沈めた。
花蓮假期飯店のシーツは、肌に触れるとひんやりとしていて、けれどすぐに体温を吸い込んでくれる。その質感に包まれていると、今日一日、山を歩き、海を眺め、迷路のような道を彷徨った記憶が、ゆっくりと整理されていく感覚があった。孤独であることは寂しいことではなく、自分という臓器を静かにメンテナンスする時間のようなものだ。けれど、隣に誰かがいて、同じ空気を共有しているという安心感は、また別の種類の充足感として胸に溜まっていく。
窓の外では、11月の夜風が建物を優しく叩いているかもしれない。私たちは、明日またどこへ行くか、あるいはどこへも行かずに昼まで寝るか、そんな曖昧な計画を抱えたまま、深い眠りに落ちていった。充足感とは、何かを得ることではなく、ただ「いま、ここにいてもいい」と思える隙間があることなのかもしれない。
サイドテーブルで、飲みかけのペットボトルが月光に小さく光っていた。
- 東大門夜市周辺で買える、ピリ辛の紅油抄手。深夜のベッドで食べるのが正解。
- 台湾コンビニの温かいミルクティー。冷えた指先と心をじんわりと温めてくれる。