← 戻る 沖縄かりゆしビーチリゾート・オーシャンスパ

日焼け止めの匂いと、小さな手が指を絡めた瞬間

裸足で触れたロビーのタイルが、驚くほどひんやりとしていた。外の空気はまだ、濡れた綿のように重く、肌にまとわりつく9月の沖縄。けれど、一歩中に入れば、冷房の効いた静寂が、火照った皮膚をゆっくりと鎮めてくれる。この温度の劇的な差に触れるとき、ああ、本当に遠くまで来たのだなと、旅の始まりを実感する。沖縄かりゆしビーチリゾート・オーシャンスパに足を踏み入れたとき、最初に耳に届いたのは、遠くで弾ける子供たちの笑い声だった。それは、計算されたBGMではなく、もっと不規則で、生々しい、生命のリズムのような音。

喧騒を離れ、なぜ私たちは家族でこの場所を選んだのか

正直に言えば、誰にとっても心地よい「余白」を探していたのかもしれない。家族という集団は、時として一番近くて一番遠い。特に子供が成長するにつれ、それぞれの視線は違う方向を向き始める。だからこそ、物理的に広い空間が必要だった。私たちが選んだ「やんばるの森」のルームに入った瞬間、上の子が真っ先に駆け上がったのは、あのロフトベッドだった。大人には少し狭いかもしれないけれど、子供にとってはそこが世界で一番安全な「秘密基地」になる。木の温もりが残る壁に、外から差し込む陽光が複雑な模様を描き、かすかに森の香りが漂っている。彼がそこで、大切なお気に入りの小物を丁寧に並べている背中を見ていたら、ふと思った。旅に求めるのは、完璧なスケジュールをこなすことではなく、こういう「自分だけの居場所」を誰かが見つける瞬間なのではないか。誰にも邪魔されず、ただそこに在ることを許される時間。そんな静かな肯定感が、この部屋には満ちていた。

子供たちの瞳に映った、世界で一番輝くものは何だったか

それは、ラグーンパティオのプールの水面が作り出す、光のいたずらだったと思う。水の中に潜ったとき、視界に飛び込んでくるのは、太陽の光がプリズムのように砕け、青と白の細い線となって舞い踊る幻想的な景色だ。下の子は、その光を捕まえようとして、小さな手を何度も水中でもがかせ、泡を立てていた。「見て!お魚が光ってる!」と叫ぶ彼の声が、水しぶきと共に弾ける。実際には、ただの光の屈折だったはずだ。けれど、彼に見えていたのは、大人の目には映らない、もっと鮮やかで純粋な世界の断片だったのだろう。ジェットバスの心地よい泡が皮膚を刺激する音、頬に触れる水の冷たさ、そしてプールサイドで頬張った冷たいスイーツの、舌の上でとろける濃厚な甘い記憶。彼らにとっての旅は、ガイドブックに載っている名所を巡ることではなく、こういう名もなき感覚の積み重ねでできている。あ、そういえば、次男がホテルの真っ白なバスローブをマントのように羽織って、廊下をスーパーヒーローのように走り回っていたことがあった。布が風を切る音と、小さな足音がリズミカルに響く。スタッフの方がそれを否定せず、ただ微笑ましく見守ってくれていたとき、私は張り詰めていた肩の力がふっと抜けるのを感じた。子供が子供らしくいられる場所。それこそが、親にとっての最高の贅沢なのだと気づかされた。

旅の終わり、心に深く刻まれているのはどんな景色か

たぶん、それは朝食のテーブルに広がっていた、あの心地よい乱雑さだと思う。色とりどりの沖縄の食材が並び、誰が何を食べるかで小さな言い争いが起き、口の周りにジャムをつけたまま笑う子供の顔。私たちは、おしゃれなレストランで静かに食事をすることを諦めたけれど、その代わりに、お互いの呼吸が聞こえるほどの距離で、ただ一緒にいることを楽しめた。大展望風呂「森の湯」で、東シナ海の水平線を眺めながら、温かいお湯に身を任せていたとき、ふと隣にいたパートナーと目が合った。湯気に包まれ、外の風の音が遠くに聞こえる静寂の中で、私たちは何も話さなかった。けれど、今のこの静けさが、明日からの慌ただしい日常を支える燃料になるということが、なんとなく分かった気がした。海の色が、深い青から淡い紫へと溶けていく夕暮れ時。私たちは、またいつか沖縄かりゆしビーチリゾート・オーシャンスパに戻ってきて、今のこの「不完全な幸せ」を確認し合いたいと思った。正解のない問いに答えを出すのではなく、ただ、心地よいと感じる周波数に身を任せること。それが、この場所が教えてくれた、家族のあり方だったのかもしれない。

波打ち際で、小さな貝殻を真剣に探している子供の背中が、黄金色の光に包まれていた。

  • 子供がロフトベッドで眠りについた後、バルコニーで夜風に当たりながら、静かに地元のクラフトビールを味わう時間を。
  • 朝食ビュッフェでは、あえて時間を気にせず、子供が「これが食べたい」と言ったものを一つずつ一緒に試してみる贅沢を。