ロビーに足を踏み入れた瞬間、スーツケースのキャスターが床を叩く乾いた音が、高い天井へと吸い込まれていった。1月の那覇は、空気がほんのりと湿っていて、肌に触れる風が絹のように柔らかい。チェックインを待つ間、ふわりと漂う南国特有の清々しい香りに包まれていると、次男が私の裾をぎゅっと引っ張りながら「お風呂に魚はいるの?」と、真剣な眼差しで聞いてきた。答えを持っていない私は、「どうだろうね」とだけ返した。そんな正解のない、とりとめもない会話が、旅の始まりにはちょうどいい心地よいリズムになる。
完璧な計画を捨てて、家族の「いま」に浸れる場所か?
家族で旅をするということは、ある種の「チーム作戦」に近い。けれど、その緻密な作戦はだいたい、ホテルに到着して10分後には心地よく崩壊する。上の子は「あっちに行きたい」と主張し、下の子は靴下を片方脱ぎ捨てて走り回る。私はただ、その混沌としたリズムに身を任せていた。ロワジールホテル 那覇のビューバスコーナーキングに案内されたとき、まず目に飛び込んできたのは、大きな窓から差し込む蜂蜜色の冬の光と、驚くほど広いベッドだった。面積の数字なんて、ここではどうでもいい。ただ、子供たちがベッドの上で全力でジャンプしても、まだ十分な余裕があるということが、今の私たちには何よりの救いだった。真っ白なシーツという名の広大な砂漠にダイブする子供たちの笑い声が、部屋の隅々まで反響して、心地よいノイズとなって降り積もる。完璧なスケジュールをこなすことよりも、この開放的な空間で、誰にも邪魔されずに「贅沢な無駄」を過ごせること。それこそが、今の私たち家族に本当に必要だった休息だったのかもしれない。
子供が見つけた、お風呂の中の「秘密の海」とは?
三重城温泉へ向かう廊下は、少しだけひんやりとしていて、裸足で歩くとタイルの冷たさが足裏から心地よく伝わってくる。子供たちは、浴衣をマントのように羽織って、未知の世界へ挑むヒーローのような顔で歩いていた。温泉に浸かったとき、まず感じたのは、お湯が肌を包み込む絶妙な温度感。熱すぎず、かといってぬるくない。その温度が、一日中子供を追いかけて凝り固まった肩の力を、ゆっくりと、丁寧にほどいてくれる。次男が、水面に浮かぶ小さな泡を指で追いかけていた。「見て!小さい海があるよ」と彼が叫んだとき、私たちはみんな笑った。大人が「温泉」という機能や効能を見る一方で、子供はそこを「未知の海」として発見する。その視点のズレが、なんだかたまらなく愛おしく感じられた。プールで水を跳ね合わせ、笑い転げる子供たちの水しぶきが、冬の午後の光に反射してダイヤモンドのようにキラキラと舞っている。大人はたまに疲れ果てて、ベンチでぼーっと空を眺めるけれど、その静寂さえも、この場所では心地よい調味料になる。誰かが泣き出し、誰かが大はしゃぎし、それでも最後にはみんなで同じお湯に浸かって、体温を分け合う。そういう不器用で温かな繋がりこそが、旅の正体なのだろう。
帰る頃、心に残っているのはどの景色か?
最終日の朝、バルコニーに出ると、那覇港の穏やかな景色が広がっていた。遠くに見える船の汽笛が、低く、長く、潮風に溶け込んでいく。朝食に食べた地元のお料理の、少しだけ甘い出汁の味が、まだ口の中に優しく残っていた。私たちは、旅の始まりに立てた「やりたいことリスト」の半分も達成できなかった。けれど、それは失敗ではなく、ただの「心地よい書き換え」だったのだと思う。上の子が、不機嫌そうにしながらも、下の子の手をぎゅっと引いて歩いていた後ろ姿。ベッドの中で、家族全員が絡まり合って眠っていた、あの重なり合った体温。そういう、写真には写らないけれど皮膚が覚えている記憶だけが、本当の意味で大切だった。LOISIR HOTEL NAHAという場所は、私たちに「何もしないことの贅沢」を教えてくれた。正解を求めるのではなく、ただそこに在ることを許してくれる空間。チェックアウトしてホテルを出るころには、心の中に、小さくて温かい灯がともっていた。
眠った子供の頬に、冬の柔らかな光が落ちていた。
- 三重城温泉は24時間利用できるので、子供が寝静まった後の深夜に、夫婦だけで静寂を味わう時間を。
- ビューバスコーナーキングの大きな窓際で、子供と一緒に那覇の街を眺めながら、あえて目的のない会話を。