← 戻る ワシントンR&Bホテル名古屋駅前

街灯が灯る前の、名前のない青い時間

舌先にほどける、淡い塩気とぬるい温度

チェックインを済ませ、導かれるようにふらりと入った店で啜ったきしめん。平打ちの麺が、滑らかに、けれどどこか頼りなく舌の上を通り過ぎていく。出汁の深い塩気が、歩き疲れてぼんやりしていた意識をゆっくりと、けれど確実に呼び戻してくれた。湯気と共に立ち上る鰹の香りが鼻腔をくすぐり、心地よい疲労感がじわりと全身に広がる。店内に漂う古い木材の香りと、時折聞こえる厨房の活気ある音が、旅の緊張を少しずつ解きほぐしていく。温かすぎず、かといって冷たくもない。その中途半端な温度が、今の私たちの曖昧な関係に似ているな、なんて思う。刺激的な味ではないけれど、ずっと啜っていたくなる静かな満足感。お互いに何を考えているのか、正確にはわからない。けれど、狭いカウンターの間で共鳴する啜る音だけが、唯一の確かな共有事項だった。食後、口の中に残ったわずかな小麦の香りが、名古屋の街の空気に溶け込んでいく。それが、この場所で過ごす時間の静かな幕開けだった。

喧騒を脱ぎ捨て、四角い静寂に身を浸す

名古屋駅からホテルまで、徒歩9分。数字にすれば短いけれど、体感としては心地よい距離だった。桜通口を出て、人混みの波に飲まれそうになりながら歩く。5月の風は、まだ少しだけ遠慮がちで、肌に触れるとひんやりとした感触が心地よい。ふいに、キャリーケースの車輪が歩道の段差にガツンとぶつかる。肩に鋭い衝撃が走り、歩くリズムが乱れる。隣を歩く君が、小さく、けれどいたずらっぽく笑った。「流れに任せよう」なんて格好いいことを言っていたけれど、実のところ、どちらも店さえ予約していなかった不器用な旅。そんな危うさが、今の私たちにはちょうどよかった。

ワシントンR&Bホテル名古屋駅前に足を踏み入れた瞬間、外の騒音がふっと消えた。空調の低いハム音が耳の奥に心地よく馴染み、現代的な機能美に包まれる。カードキーが扉に触れる小さな電子音が、ここが私たちの聖域になったことを告げていた。部屋はコンパクトだ。けれど、それがかえって、相手の存在を濃密に感じさせた。白いリネンのシーツが、かすかに清潔な洗剤の匂いをさせていて、指先で触れるとさらりとした冷たさが伝わってくる。窓の外には、5月の淡い光が街を包み込んでいた。名古屋城の方へ向かえば、今はきっと藤の花が紫色の波のように揺れている頃だろう。けれど、今はただ、この四角い静寂の中に身を委ねていたい。誰にも邪魔されない、私たちだけの周波数で呼吸ができる場所。そんな気がした。

湯気と水滴が繋ぐ、言葉なき合図

この部屋で一番、私の心を捉えたのは、意外にも浴槽の広さだった。ビジネスホテルという枠組みの中で、そこだけが贅沢な空白のように口を開けている。お湯を張り、肩まで深く浸かる。熱いお湯が肌を刺し、ゆっくりと体温が上がっていく。湯気に包まれて視界がぼやけると、不思議と、心の中にある「正解を出さなければならない」という強迫観念が、ゆっくりと溶け出していくのがわかった。私たちは、平行線のままでもいいのかもしれない。無理に交わろうとして、形を崩すよりも、同じ方向を向いてゆっくりと歩く。その方が、ずっと楽で、ずっと優しい。

風呂上がり、冷たい水を一杯飲んで、君とベッドの端に座る。結露したグラスの冷たさが手のひらに張り付き、喉を通り抜ける水の刺激が心地よい。タオルで濡れた髪を拭く手の動きが、ゆっくりと、ためらいがちに重なった。言葉にするのは難しい。けれど、触れている部分から伝わってくる体温が、どんな言葉よりも正確に「ここにいていい」と教えてくれていた。もしかしたら、私たちはまだ、お互いの本当の輪郭さえ知らないのかもしれない。けれど、それでいい。空白があるからこそ、そこに新しい何かを書き込める。5月の夜、窓の外で遠くに聞こえる車の走行音が、心地よいリズムを刻んでいる。その音に耳を澄ませながら、私たちはただ、隣にいることの心地よさを、静かに共有していた。

夜の帳が下りる頃、部屋の明かりを落とし、窓に映る街の光を静かに眺めていた。

  • 名古屋駅周辺の路地裏にある小さな喫茶店で、厚切りトーストとコーヒーのモーニングをゆっくり楽しんでほしい。
  • 5月下旬なら、名古屋城の近くでバラの香りに包まれながら、あえて目的地を決めずに歩いてみるのがおすすめ。