「誰だよ、6月の長崎は最高って言ったのは!」
「いや、予報では晴れだったし!気象庁を信じた私が悪かったよ」
「結果的に全員ずぶ濡れじゃん。見てよこの髪、完全に濡れたプードルなんだけど!」
「あはは!いいじゃん、これも旅の醍醐味でしょ」
「醍醐味っていうか、ただの不運でしょ。誰か賭けない?明日も雨が降る方に」
「乗った!負けた方が明日の朝ごはん代、全部奢りね」
互いの惨状を指差して爆笑し、湿った空気の中で私たちは激しく言い合った。濡れた靴が床に張り付く不快感さえ、今の私たちには最高の笑い種だった。
異国の記憶を纏う、静寂の隠れ家
ホテルモントレ長崎の扉を開けた瞬間、外の喧騒が遮断され、空気がふっと密度を変えた。中世ヨーロッパの修道院を彷彿とさせる高い天井と、重厚な調度品が醸し出す優雅な空間。雨に濡れた肌に、リネンのひんやりとした感触が心地よく、張り詰めていた緊張が水に溶けるように消えていく。部屋に漂うかすかなアロマの香りが、冷えた身体と疲れた心をゆっくりと解きほぐしていった。
窓の外には、雨に煙る長崎の港が広がっている。鈍色の水面に雨粒が小さな輪を描いては消える様子は、まるで表面張力でかろうじて繋ぎ止められている私たちの関係のようでいて、実はもっと深く、静かに結びついているという気がした。私たちはそれぞれ違う方向を向いて生きているけれど、こうして一つの空間に集まると、個々の境界線が曖昧になり、大きな一つの流れになる。港という場所が、旅人を迎え入れ、また送り出す場所であるように、この部屋もまた、私たちのありのままを包み込んでくれる停泊地のような安心感に満ちていた。
裸足で歩くと、タイルの冷たさが足裏から伝わり、意識がゆっくりと覚醒していく。豪華さという言葉よりも、心地よい静寂がそこにはあった。異国情緒あふれる混搭なデザインの壁に囲まれ、私たちはガイドブックを閉じ、あえて「何もしないこと」を決めた。水分をたっぷりと含んだ紫陽花が、自らの重みでしなるように、私たちもまた、この空間の温度に身を任せて、心地よい倦怠感に浸っていた。効率的に観光地を回るよりも、この部屋で誰が一番先に寝落ちするかを競い合う方が、ずっと贅沢な時間の使い方に思えた。
深夜二時、氷が溶ける音に耳を澄ませて
「……なあ、本当は雨で正解だったかもな」
深夜二時。メイン照明を落とし、サイドテーブルの間接照明だけがオレンジ色の小さな輪を作っている。もしかすると、この時間帯だけが、本当の旅の正体なのかもしれない。
「どういうこと?」
「もし晴れてたら、きっともっと効率的に観光地を回ろうとして、スケジュールに追われて、誰かが疲れて喧嘩してたと思うんだよね」
「あはは、確かに。私たちはチームワークがいいようで、実は個々のわがままの集まりだし」
「そう。だから、こうしてホテルでだらだらして、意味のない話を延々と続けてる時間が、一番心地いい」
「……まあ、いいんじゃない? 濡れたプードル同士、お互い様だし」
グラスの中の氷がカランと小さな音を立てて溶けていく。その音さえも、今の私たちには十分な音楽だった。正解なんてどこにもないけれど、この不完全な旅の形が、今の私たちにはちょうどいい。誰かが不機嫌になっても、誰かが道を間違えても、それを笑い飛ばせるだけの余白が、この部屋にはあった。
翌朝、カーテンを開けると、雨上がりの透き通った青い空が私たちを待っていた。
- 濡れた石畳を歩いて大浦天主堂へ。雨上がりの空気は驚くほど澄んでいる。
- ホテル内のレストランで、長崎の情緒あふれる朝食ブッフェをゆっくりと堪能して。