迷宮の夜、すれ違う記憶
(友人Aの記憶)
信じられないと思うけれど、私たちの計画は開始三十分で完全に崩壊した。地図アプリの青い点は路地裏の複雑な迷路に翻弄され、新地中華街の入り口で私たちは自分たちがどこにいるのかさえ分からなくなっていた。十月の夜風は鋭く、薄着だった私の肩を容赦なく叩く。足元のコンクリートはひんやりと冷たく、歩くたびに靴の中で足がわずかに滑る感覚に苛立っていた。「もういいよ」と心の中で呟いたとき、ふと視界に入った名もなき路地の、ぼんやりとしたオレンジ色の街灯が妙に綺麗だったことだけを、今でも鮮明に覚えている。
(友人Bの記憶)
結果はどうなったと思う。私たちは完璧に迷子になった。でも、それがこの旅の正解だった気がする。誰かが「こっちじゃないか」と適当に指差した方向へ進むと、中華街の喧騒が遠くで波のように心地よく鳴っていた。空気には、揚げ物とスパイスが混ざり合った、少し重たくて食欲をそそる濃厚な匂いが漂っている。隣でAが小声でルートの不備について不満を漏らしていたけれど、その横顔はどこか楽しそうに紅潮していた。迷うこと自体が、この街の正しい歩き方なのだと、あの時の湿った夜風が優しく教えてくれた気がする。
深夜の一杯、二つの温度
(友人Aの記憶)
深夜、ドーミーイン長崎新地中華街のロビーで出された「夜鳴きそば」。立ち上る白い湯気が眼鏡を瞬時に曇らせ、視界が真っ白に消えた。箸で持ち上げた麺は心地よい弾力を持っていて、醤油ベースの温かいスープが喉を通るたびに、冷え切った内臓がゆっくりと解凍されていくのが分かった。派手さはないけれど、このタイミングでこの温度のものが身体に入るという事実に、言いようのない安堵感を覚えた。それは単なる無料サービスという枠を超えて、疲弊した心身への某種の救済のような味がした。
(友人Bの記憶)
味よりも、あの空間を包んでいた空気が忘れられない。パジャマ姿で、一日中歩き回った心地よい疲れをそのままに、隣同士で肩を寄せ合って食べる麺。会話は少なくて、ただ「あー」とか「うまい」とか、断片的な言葉だけが静かに飛び交っていた。照明が落とされたロビーに、麺をすする音だけが心地よいリズムのように響く。お互いに疲れすぎていて、もう何も考えたくない。そんな静かな連帯感が、スープの温かさと一緒に身体の芯まで染み渡っていった。あの瞬間の私たちは、世界で一番贅沢な時間を過ごしていたと思う。
私たちが唯一同意したこと
結局、この旅で全員が口を揃えて「最高だった」と同意したのは、三階にある「出島の湯」に身を委ねた瞬間だった。サウナの中で、肌を刺すような熱気と、肺の奥まで満たされる濃密な湿度に意識を溶かす。そこでは、誰がルートを間違えたかとか、誰が忘れ物をしたかとか、そんな瑣末なことはどうでもよくなった。水風呂に飛び込んだ瞬間に意識が一度真っ白に消え、その後に訪れる強烈な快感。そして、シルキーバスの超軟水が、まるで薄い絹の膜のように肌を包み込む。そのままシモンズベッドに倒れ込んだとき、身体がマットレスに深く沈み込み、重力から完全に解放される感覚に包まれた。あそこで私たちは、ようやく「旅をした」という実感を共有できたのだ。もしかしたら、私たちはこの至福のひとときを味わうためだけに長崎まで来たのかもしれない。
枕元に置いた冷たいヤクルトのボトルを指先で転がしながら、私たちは明日もまた迷子になろうと決めた。
- 十月の夜は冷えるので、大浴場から上がった後に羽織れる厚手のガウンを最大限に活用すること。
- 夜鳴きそばで心を満たした後、そのままアイス食べ放題に挑戦する勇気を持つこと。