5年後の私たちへ。
あの時、誰が一番に「硫黄の匂いがすごい」って言い出したか、もう覚えてる?たぶん、記憶はかなり書き換えられてるんだろうけど、あの空気感だけは残っててほしいな。
5年後もきっと、耳の奥に残っているはずのこと
湯畑まで歩く3分間の、冷たい空気と賭け事
ホテルから出た瞬間、10月の突き刺さるような冷気が頬を叩いた。誰が一番早く「温泉街の匂い」に気づくか賭けたけど、結局全員同時に鼻をクンクンさせて、同時に笑った。あの短い距離にある、歩道と路地の境界線の質感が、なんだか心地よかった気がする。
地蔵源泉の湯に浸かって、お互いの肌の色を吐槽し合ったこと
裏草津 蕩 TOUの貸切風呂で、地蔵源泉の熱い湯に身を任せていたときのこと。あまりに心地よくて「蕩ける」なんて言葉がぴったりだと思った直後、誰かが「お前の顔、茹で上がったタコみたい」と言い出した。湯気の中で、誰の肌が一番赤くなっているかを競い合うという、最高にくだらない時間だった。
ラウンジの暖炉が刻む、不規則な光のリズム
1/fゆらぎ、なんて小難しい言葉で説明されていたけど、実際はただ、炎がパチパチと不規則に跳ねているのをぼーっと眺めていただけ。本を読もうとしていたのに、結局一ページも進まずに、誰かが口ずさんだ鼻歌のピッチに合わせようとして失敗した。あの静寂は、寂しさじゃなくて、心地よい共鳴みたいなものだったのかもしれない。
ルーフトップテラスで、街の喧騒を「遠い音」に変えた瞬間
屋上に上がったとき、足元から伝わるコンクリートの冷たさと、上から降り注ぐ秋の夜風。眼下に広がる草津の街の灯りが、まるで遠くで鳴っているラジオのノイズみたいに聞こえた。私たちはそこで、あえて今後の計画を立てないという計画を立てた。不便であることの贅沢さを、あの風の中でだけは共有できた気がする。
5年後の封筒を開けたときに、思い出すこと
たぶん、食べた料理の正確な味や、チェックインの時間のことは忘れているだろう。でも、あの部屋の畳の匂いや、浴衣の袖が擦れるカサカサという音、そして、誰かが言いかけた言葉を途中で飲み込んだときの、あの絶妙な間(ま)だけは、鮮明に思い出される気がする。旅の記憶っていうのは、出来事よりも、その場の「周波数」みたいなもので構成されているから。私たちはあの時、同じリズムで呼吸していた。それは、日常の中では絶対に合わせられない、特別なテンポだった。もし5年後の私たちが、なんだか息苦しい毎日を送っていたとしたら、この記憶が、耳の奥で小さく鳴り響くリバーブのように、心を少しだけ緩めてくれるかもしれない。
脱ぎ捨てた浴衣が、床の上で静かに波打っていた。
- 湯畑の喧騒から少し離れて、裏草津の路地をあてもなく歩いてみて。
- 貸切風呂では、あえて誰とも喋らずに、お湯の音だけに耳を澄ませてみるのがおすすめ。