← 戻る 定山渓万世閣ホテルミリオーネ

笑い声が途切れた瞬間の、あの静けさ

笑い声が途切れた瞬間の、あの静けさ

手のひらに触れた、ホテルのカードキーのひんやりとした金属の感触。それが、日常から切り離される合図だったのかもしれない。私たちは旅の始まりに「誰が一番忘れ物をしたか」という、大人の遊びにしてはあまりに幼稚な賭けをしていた。結果はどうだったか。なんと、三人のうち二人とも靴下を忘れるという、控えめに言って誇らしいほどの失態を演じたのだ。

結局、ホテルの備品を借りて、少しぶかぶかのスリッパで廊下を歩くことになった。歩くたびに「パタパタ」と軽快に響くその音が、緊張を解きほぐしていく。完璧な旅を計画したはずなのに、この滑稽な空白こそが、心地よい旅のリズムを作り出していた気がする。

記憶の隙間に滑り込んだ、五つの不意打ち

赤いジャンパーの救世主
札幌駅の喧騒の中、冷たい風に吹かれながら右往左往していた私たちを救ったのは、鮮やかな赤色のジャケットを着たスタッフさんの姿だった。「あっちにいる!」と誰かが叫んだ瞬間、混沌とした街の景色の中に一本の明確な道が見えた気がした。あの赤色は、迷子になりかけた私たちを優しく掬い上げ、静寂に包まれた渓谷へと運んでくれる唯一の標識のように見えた。

肌を刺す、氷点下の静寂
サウナで芯まで汗を流した後、外気浴テラスの水風呂に身を沈めた瞬間の、あの鋭い衝撃。肺の空気が一気に押し出され、肌がキュッと引き締まる感覚に、意識が真っ白に塗りつぶされる。けれど、その直後にリクライニングチェアに身を預け、定山渓の山々を眺めていると、自分の輪郭が冷たい空気の中にゆっくりと溶けていくのが分かった。それは快感というよりも、心の中の澱をすべて洗い流す、ある種の「リセット」だった。

午前七時の、濃密な白い誘惑
ビュッフェレストランの白い壁に朝陽が差し込み、石畳のような床に柔らかな光が踊る時間。北海道産のミルクを口にした瞬間、その驚くほどのクリーミーさと、舌の上に重く残る濃厚な甘みに、まだ半分眠っていた脳がゆっくりと覚醒していく。隣で友人が「これ、飲み物っていうか、ほぼスイーツだよね」と呆れたように呟いたけれど、その通りだった。朝の静寂の中で味わうその一杯は、贅沢という言葉では足りないほどの充足感だった。

午前四時の湯気と、青い山脈
展望風呂付洋室に身を置き、夜明け前の山々を眺めながら湯に浸かった時間。四月だというのに、山はまだ冬の眠りから覚めきらず、深く、青白い色をしていた。新生活への漠然とした不安や、誰にも言えない小さな悩み。普段なら避けて通るような重い話題が、立ち上る白い湯気の中に溶け出して、自然と口からこぼれた。明確な答えなんて出なかったけれど、ただ隣に誰かがいて、同じ温度の空気を吸っているだけで十分だった。

パジャマ姿の、至高の菓子論争
夜中、ふかふかのホテルローブに身を包み、どのお菓子を一番に食べるかで真剣に議論したこと。大人が集まって、あんなにも些細なことで盛り上がれるなんて、自分たちでも滑稽だと思った。けれど、袋を開ける時のカサカサという音と、口いっぱいに広がる甘い香りに包まれている時間は、この旅で一番贅沢なひとときだった。結局、競い合うように全部食べたけれど、そのくだらなさこそが最高の思い出になった。

溶け合い、滲んでいった時間たち

真っ白な紙に落とした一滴の黒いインクが、ゆっくりと繊維に沿って広がっていく。最初ははっきりとした「点」だったはずの出来事が、時間とともに滲み、混ざり合い、境界線をなくしていく。定山渓万世閣ホテルミリオーネで過ごした時間は、そんな風に私たちの関係の中に深く染み込んでいった。誰が何を言い、誰がどう笑ったかという個別の記憶よりも、あの場所で共有した「心地よい温度」だけが、濃い色彩となって心に残っている。私たちは、少しだけお互いのことを、前よりも深く、けれど適当に理解できた気がする。

袖口に一枚だけ、小さな桜の花びらが張り付いていた。

  • 札幌駅からホテルまでの送迎バスは完全予約制。赤いジャンパーのスタッフさんを探して、早めに集合してね。
  • サウナ後の外気浴は、ぜひテラスのリクライニングチェアで。山々の景色を眺めながら、ただぼーっとするのが正解。