← 戻る ぬくもりの宿 ふる川

畳の上に散らばった、コンビニ袋の音

畳の上に散らばった、コンビニ袋の音

誰が、この静寂に空腹を混ぜたのか

外気はまだ、皮膚を刺すような凛冽な鋭さを持っていた。定山渓の夜風は、温泉街特有の硫黄の匂いと、しっとりと湿った土の香りを混ぜ合わせて運んでくる。僕らは、札幌・定山渓温泉 ぬくもりの宿 ふる川の、あの心地よい静寂を切り裂くように、誰が言い出したかもわからない「夜食作戦」を決行した。特別フロア「月星」の洗練された空間から、浴衣の上に厚手のコートを羽織り、スリッパのまま冷たいアスファルトを歩く。足の裏から伝わる凍てつくような温度の低さが、かえって意識を鮮明に覚醒させた。

コンビニの自動ドアが開いた瞬間の、あの人工的な白すぎる明るさと、誰のものでもない生活感のある油の匂い。僕らはそこで、地元の珍しいスナック菓子や、白い湯気がもくもくと立ち上る肉まん、そして名前もよくわからない地域の限定スイーツを、まるで戦利品のようにカゴに詰め込んだ。戻り道、ビニール袋が夜風に煽られてガサガサと鳴る音が、静まり返った温泉街に不自然に響いていた。それがなんだか、僕らだけの秘密の合図のように感じられて、誰かが小さく、いたずらっぽく笑った。部屋に戻り、丁寧に整えられた和室の畳の上に、遠慮なくその袋を放り出したとき、旅の心地よい緊張感がふっとほどけた気がした。

揚げたてのポテトと、届かない春の囁き

「ねえ、見てよこの桜の開花予想。北海道なのに、もう期待しちゃうよね」

誰かがスマートフォンの青白い画面を畳に転がした。揚げたてのポテトを口に運んだ友人が、口いっぱいに頬張りながら、もごもごと答える。

「無理でしょ。外、まだ氷点下に近いし。っていうか、さっきの雛人形の飾り、見た? あの静謐な感じ、僕らみたいな騒がしい集団にはもったいなさすぎるよ」

「いいじゃん、ギャップってやつ。この宿の、あの『おかえりなさい』っていう包容力のある空気感に、コンビニのジャンクな揚げ物を持ち込むっていう贅沢。これこそが旅の正解だと思うんだけど」

「正解っていうか、単に食いしん坊なだけだろ。でもさ、この部屋の畳のい草の匂い、本当に落ち着くよね。なんか、自分が社会的な役割を脱ぎ捨てて、ただの自分に戻れる感じがする」

「それ、ただ眠いだけじゃない?」

「かもしれない。でも、そういう気がするんだよ。この空間が、僕らのくだらない会話を全部優しく吸い込んでくれてる気がして」

僕らは、高級な会席料理の余韻をわざと上書きするように、塩気の強いジャンクな味を堪能した。誰が一番多く食べたか、誰が一番情けない顔で寝落ちするか。そんな、大人の旅には不要なはずの賭け事に熱を上げる。笑い声が、障子を通り抜けて廊下に漏れていないか、ふと不安になるけれど、その不安さえも心地よいスパイスだった。もしかして、僕らはこの不完全で、少しだけ乱れた時間こそを、ずっと探していたのかもしれない。

満たされた胃袋と、降り積もる静寂

最後の一口を飲み込み、空になった袋をまとめて片付けた。部屋には、わずかに残った油の匂いと、急須で淹れたお茶の香りが静かに混ざり合っていた。賑やかだった会話が、潮が引くようにゆっくりと静まっていく。外では、定山渓の川のせせらぎが、低い周波数でずっと鳴り続けていた。それは、誰の耳にも届かなくていい、ただそこにあるだけの自然の呼吸。僕らは、ふかふかの布団に潜り込み、天井の木目のパターンをぼんやりと眺めた。

指先に残る、わずかな塩分と温かさ。隣で聞こえる友人の規則正しい寝息が、この場所が安全であること、そして僕らがここにいていいことを、静かに肯定してくれているように感じた。完璧に整えられた宿のしつらえの中で、僕らだけが少しだけ乱れた状態で眠りにつく。その心地よい不協和音が、旅の記憶に一番深く刻まれる。春分の日が近づき、空気の密度が少しずつ変わっていくのがわかる。明日の朝、目が覚めたときには、また「礼儀正しい旅人」に戻るのだろう。けれど、この深夜の、畳の上での乱痴気騒ぎだけは、僕らだけの秘密のレイヤーとして、この部屋の記憶に塗り重ねられたはずだ。

暗い部屋の中で、遠くの川の音だけが、心地よい重さを持って降り積もっていた。

  • 定山渓のコンビニで買える、北海道限定の濃厚なミルク系スイーツ
  • 湯気が消えないうちに頬張る、もちもちの地域限定肉まん